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道元の教えに学ぶロハスデザイン

 
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水を知る

柄杓で汲んだ水で手を洗い、そして柄杓の底に残った水を川へ還したという道元は、いくらでもあるような水でさえ粗末にせず大切にしていました。 その私たちが当たり前のように使っている水。今、水は様々な問題を抱えているのです。

安全な水と健康なくらし

◆水利権は川の流域生活者にあるべき

 日本の河川は、河川法によって1級河川と2級河川に分かれている。国土保金や国民経済上とくに重要な水系が1級河川で、その管理は国土交通省(旧・建設省)の管轄だ。多くの河川には、水利権や漁業権が設定されている。水利権には認可水利権と慣行水利権があり、江戸時代からの農業用水の権利がそのまま引き継がれている場合もある。また、電力会社や鉱山会社が水利権を確保しているケースも多い。

 これに対して、流域住民の水利生活権を保障する法律は存在しない。公共性が高く、生活に欠かせない電力は、供給の安定と安全が確立していなければならない。人びとが安全な水を確保する権利は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)である。にもかかわらず、水利生活権が設定されていないのは、法律の不備である。

  岡山県成羽町では、水源施設(簡易ダム)が老化し、新たな施設を建設する必要性に迫られている。本来なら、すぐ近くを流れる成羽川から水を引けばよい。ところが、町内を流れる河川の管轄は国土交通省である。そのため、成羽町よりはるかに下流に位置する総社市の高梁川から導水路によって供給する計画を模索している。

 また、滋賀県甲賀郡信楽町では2002年3月、水道水に工業用水が流れ込み、環境ホルモンであるフェノール類が基準値の約3倍も検出される事故が発生した。町の浄水場は、琵琶湖に流れ込む1級河川の大戸川から取水していた。この事故によって、信楽町が河川法による許可を滋賀県から受けずに取水していたことが発覚した。

 その後、継続して給水を認めるかどうかが問題となり、滋賀県河港課は給水を認めない方針であると報道された。結局、信楽町側が謝罪し、給水は続けられたが、流域の住民や市町村に河川利用権がないこと自体が問題なのである。明治時代の殖産興業の遺物がいまなお生き続けていると言えるだろう。

 すでに述べてきたように、流域全体の環境が保全されてはじめて、よい水質を維持できる。水の利用にあたっては、流域生活者の権利が最優先されなければならない。そのうえで、利用目的別に必要とする水質に応じて、権利が与えられるべきである。水利権は地域にあり、必要であれば国土交通省に委託できるというのが、本来あるべき姿だ。現状では電力会社が多くの水利権を保持している。だが、発電のためには、生活者の健康維持に不可欠な水質検査は必要としない。これでは、水質は保てない。

 流域生活者の権利の優先は、水質の維持を水利権設定の判断基準とすることを意味する。一定の水質が維持されていれば、必然的に漁業権は保障されるはずだ。そして、下流域住民の健康を守る水質が保証されてはじめて、ダム建設の是非が討議される。これが本来の順序というものだろう。

 いま熊本県の川辺川ダム建設をめぐって、住民の強い反対運動が起きている。仮にダムが建設されれば、川辺川が流れ込む球磨川の水量は低下し、日本3大急流の呼称を返上しなけれぱならなくなるだろう。観光名所が失われ、球磨川の川うなぎと鮎が泥臭くならないためにも、ダムの建設ではなく、上流域の森林の間伐と常緑樹の整備に予算を使うべきである。

 日本は名水の国であった。ところが、水が原因と考えられるガンだけで年間約15,000人が亡くなっていると推定されるまでに、変わってしまった。その原因は、誤った水利権の設定に加えて、国民が安易に行政に管理を委ねたことにもある。河川を利用する権利は国土交通省にあるのではなく、流域生活者にある。国土交通省は、国民から河川の管理を委託されているにすぎない。国民とは、流域生活者のことである。意味のないダム建設を強行するならば、管理委託の返還を求める行政訴訟を行ってはどうだろうか。

 そもそも、私たちが納めた税金の使い方も、政治家と行政に委託しているにすぎない。委託した運用に問題があれば、使い方を変え、住民のカによって運用するような方向転換が必要である。そうでなければ、真の成熟した民主国家にはなり得ない。



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