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土に気付く

道元の『典座教訓』の教えによると、食事をつくるということは 非常に大切な行為でした。食材をむだなく活かすことは食べる人への 心配りが求められるからです。私たちが普段購入している食材や調理について知ることは自分のみならずそれを食する人への配慮になります。

土の再生

◆大地を再生させよう

■人間の老化より早い国土の老化
 日本の国土は老いている。人口の高齢化に伴う老いではなく、国土そのものが老いているのである。一見青々とした自然が残されている国土に見えるが、一歩足を踏み入れると、その老い方は想像以上である。そして老いた国土を再生することが、、高濃度の硝酸塩を根本的に回避することにつながる。

 今さら説明するまでもなく、日本の中心には脈々と連なり、国土の骨格をなしている。その山脈から日本海と太平洋に向い平地が広がる構造である。豊かな自然は、すべてこの骨格の大きさにより毅然として息づいてきた。
 これまでの平野部の自然の再生能力はこの骨格の太さがつくりだしていた。越後平野、関東平野、濃尾平野、大阪平野などすべてが、周辺の大森林地帯によって再生され、維持されてきた。年間、2000mmを超す降雨量も森林が見事に受け止め、ゆっくりと時間をかけて低地への水質源を供給し続けていた。その広大な骨格がすでに老化し、その能力を喪失し始めている。
 日本の国土を上空から見るとよく分かる。東京から西の航空路を飛び、下を見る景色は特に国土の老化がひどい。横断無尽につくられた林道そしてゴルフ場、倒木したままの山林が一層老化を早めている。自然環境との調和を無視し無計画に進められた植林、そして山林の経済的効果が薄れると、植林地は放置される。加えて林道の開発により各地で無惨にも早い老化が始まっている。


■山林の老化は農地の老化につながる
sand21.jpg 昭和20年代の後半から山林の復興として次々と植林されてきたが、その多くはスギである。スギの生長の早さが経済的だと考えられたからだ。しかし、その後の経済的価値の変動によって何ら手を入れずに放置されたままになっている。放置されたスギにはツタが絡み、森林としての生命力が薄れ、森林全体が老化している。スギは30年近くになっているが、密植されたため成木にはなっていない。場所によっては、少しの風や降雪で倒され、重なり合って枯れている。人間より早い植林地の老化だ。このため山の保水力が薄れ、山の生命力が減退している。これまで清流がこんこんと沸き上がり大きな流れであったはずの各地の河川は、今ではちょろちょろと小さな流れをかろうじて維持しているだけである。そのため20~30mm程度の降雨で、山は一気に下痢をしているように赤茶けた水を河川に流し出す。山林は多くの表土を流失し、保水性を失ってしまったのである。この現象は下流の河川に影響し、すべての海岸に影響している。山林の老化は国土そのものを老化させ、最終的には農業地域の老化をもたらす。
 過去何百年続いた農地が荒れ果て廃棄され、放置されている廃村が点々と各地に見られる。山が老化し、その地域が侵食され田畑が廃棄されている。老化しきった地域に球に真の管や点滴の管がぶら下がっている様子を思い起こさせる。管を取り替えても活性化には結びつかない。詰まりかけた管の通りを一時的によくするだけである。大地に新しい芽生えがなく、老齢化している状態で活性化できるわけがない。
 老いた大地の活性は、その地域のすべての有機物を活性化させることからスタートする。道路や橋がつくられ、便利になると人が来るといわれる。確かに便利になると人は移動する。しかし、それが活性化ではない。その地域の人びとが生き生きと活力ある息づかいを感じて、初めて立ち止まり、会話が始まる。
 どのような立派な道路をつくっても、その地域の人びとが老齢化し、とぼとぼと杖をついてさまよっている状態で若者は立ち止まりはしないし、産業も定着しない。介護産業に期待して一時は多くの新規参入が報道されたが、収益性が薄いと判断すると、いち早く撤回する構造に類似している。


■大地との共生
 日本の気候は温暖で農業生産に最適な地域が多い。その上、年間降水量が全国的に安定しているので世界でまれな農業適地であるといえる。農業は大地との共生であるといわれても、消費者や温暖な地域で慣れている生産者はピンとこないのが普通である。それほど日本は自然環境に恵まれている。長期間の干ばつ、その干ばつからくる塩害はこれまで日本では見られない。荒廃した大地も短時間に自然に帰り、いつの間にか青々と草が茂り樹木が育っている。世界の大陸では考えられない環境である。
 何のことはない。自然環境のありがたさである。ありがたさは往々にして忘れられがちであるが、農産物の生産ではやはり大地との共生が欠かせない要素である。
 東北、北海道、高冷地では牧草で3作、園芸作物は年1作が普通である。農業で生計を立てるとすると、1作で1年の収入を上げることが原則になる。東北や北海道で水稲だけで収入を上げるとすれば、どの程度の面積が必要になるだろうか。現在の米の価格は、10a当たりの収量が5俵で売り上げは約8万円である。1haの広さはだいたい東京ドームのフィールドの中と考えるとよい。この金額は生産経費に必要な金額と同等である。
 生産規模が拡大すると自ずと生産効率は低下する。1haでは50俵の生産が、10~30haに拡大すると、1ha当たり約45俵、というように約1割は生産効率が落ちるのが普通である。水稲の生産は面積当たりの収量を上げると一般的に食味が低下する。果実の生産でも同じで、面積当たり収量を上げる栽培は樹木に負担がかかって食味は落ち、翌年の栽培に影響する。食味と収量、そして大地に与える環境への影響のバランスがとれて、農業は安定する。
 農業の規模拡大による国際競争に勝つ自立型生産は、実際に農業経験のない学者や評論家の机上論に過ぎない。農業生産の規模の拡大によって生産者の手取りが増えたという報告はほとんどない。それどころか、アメリカでは農地が次々に廃棄され荒廃しているのだ。


■農外収入で維持される農業
 これまで日本の農業地域が維持できたのは、兼業によるほかからの収入に依存できたからであり、東北では出稼ぎによって生計を立てていた。日本の多くの農業は、地方に配分され続けた公共事業によって支えられた部分が大きい。
 一昔前の庄屋の役割だったものが、地方都市では土木建築の企業が公共事業の再配分によってその役割を担い、農民を囲い込み、選挙の票の取りまとめを行っていた。農業を育成し地方が息づいていたのではなく、宿命的土地依存意識が優先し、土木建築の雑務で農民として課せられた先祖伝来の農地が維持されてきた。
 農業が自立でき、経済的に確立している地域は全国でも限られている。東北、北陸、北海道の水稲生産地では国際的市場経済下で継続できる農業規模は存在しない。農林水産省や政治家は、お題目のように規模の拡大による効率化をうたっているが、経験のない机上論を掲げているだけである。
 こうなれば、実際に農業を再建させる行動に出なければならない。意慾ある農業従事者とともに、微力ながら私は挑戦を始めた。