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土に気付く

道元の『典座教訓』の教えによると、食事をつくるということは 非常に大切な行為でした。食材をむだなく活かすことは食べる人への 心配りが求められるからです。私たちが普段購入している食材や調理について知ることは自分のみならずそれを食する人への配慮になります。

土の汚染の原因と実態

◆生産者・流通業者・消費者の認識

■野菜の名前を間違えるスーパーの店員
 日本の若い人の多くは農業の現場を知らない。作物がどのような畑で栽培され、その外
観や形状を見て、何が栽培されているかを判断できる能力は極端に低下している。その点
に関しては、多くの人びとの識別能力は、ひと昔前の小学校低学年の能力以下である。農
業の常識が通用しないのだ。

 中央市場の社員がニンジンの産地見学をしたときのことである。30歳代の社員がニンジンの葉を見て「これ、何を栽培しているの」と私に問いかけてきた。根菜の販売担当である彼は、このときまでニンジンの葉を見たことがなかったのである。
 大学を卒業して4、5年目のスーパーの担当者がレンコン畑の視察に来た。その近くにあるゴボウ畑を見て「このへんはレンコンを畑でつくるのですか」と言った。確かにレンコンもゴボウも葉は大きいが、その違いも分からずレンコンを販売しているのかと思うと、情けないのを通り越して、あきれるばかりである。
 もっと驚いたのは、国立大学農学部の卒業生が3月に徳島の畑を見て「このへんは田植えが早いのですね」と言ったことだ。稲と麦の区別がついていないのに言葉をなくした。どこが農学部の卒業生か。

sand12.jpg しかし考えてみると、農業の現場を教える教育が小学生の時代から大学までのとの段階においてもなされていない。教える場所がどこにも存在していない。まして都会では、農業を直接見る機会もない。それでいて、現場を知らないのに講釈だけは立派である。スーパーマーケットの有機農産物がいい加減な原因はここにある。
 店先でよく見られることの1つに、野菜の名称の付け間違いがある。コマツナとホウレンソウを間違えていることも現実にあるのだ。ある店で間違いを見つけたので、私は店員に指摘した。すると、その店員は伝票と照らし合わせ、コード番号と照らし合わせて確認しようと必死になっていた。つまり商品を見て判断できていない野菜売場の担当者が存在しているのだ。しかも、たまたま私がこういう店員を見かけたのではなく、決して珍しいケースではないのだから、あきれてしまう。
 農水省は有機農産物の表示義務を制令で決定している。2000年6月には表示を義務付ける新法が施行された。しかし、肝心の販売先でその判断ができる組織と人材がどれほどあるのだろうか。期待することが間違いのように思えてならない。

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■ある消費者の素朴な疑問

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 私は全国を回り、生産者、農協関係者、流通業者の方がたと接し、有機農業を中心とした持続可な農業の発展を考えている。そのなかで、農産物と消費者の接点ともいえる量販店、スーパーマーケットで愕然とすることがよくある。いうまでもなく、生産者よりも消費者の数のほうが圧倒的に多い。生協の宅配を利用したり、生産者と直接契約している消費者グループは別として、普通の人が農業なり有機野菜に触れる唯一の機会は販売店ではないだろうか。ところが、その販売店が情けない状態になっている。関西のある大手スーパーマーケットでこんなことがあった。

 私が店内の野莱売り場を見ていると、コマツナを持った中年の女性が話しかけてきた。
「どれがいいコマツナなのですか」
 ちょうど私たちの目の前には、有機栽培、化成栽培、促成栽培のコマツナが並べられていた。
 有機栽培のコマツナを指し、
「これがまじめな生産者のコマツナです」
 と私は答え、その理由は葉の厚みと葉付きの位置、茎の太さにあると説明した。するとこの女性は一言、
「なんで安物も同じ価格で売られるの? けったいな店やなあー」。
 また、3種類のコマツナの鮮度を比較して私が説明すると、
「ほんとに言われて見るとなるほど違う」。
 彼女はこう納得していた。しかし私が説明しての結果であり、安物も高品質のものも似たような値段で売られていたら、消費者が不審がるのはごく当たり前である。青果物はすべて、見た目のきれいさだけで選別されており、冬野莱のよさはほとんど消費者に伝わっていない。
 
さて、私が店頭で出くわした女性が「けったいな店やなあー」と素朴な疑問を感じた野菜売場をもう少し詳しく点検してみる。この店では有機栽培、化成肥料使用の露地栽培、施設短期促成栽培の3種類のコマツナが並べられていた。施設の促成栽培ものはフィルムで包まれ、2種類の露地ものは山積にしてあった。露地もののうち、1つは有機栽培で、もう1つは化成肥料を使用しており、明らかな品質の差がある。それなのに、いずれも198円と同一価格で販売されていたのである。青果物の担当者は、有機栽培によるものと化成肥料で栽培されたものの選別ができていない。単に仕入れ価格が同じだから原価から価格を割り出した可能性が高い。
 一方、定番商品としてバーコードまで付け、FGフィルムで包装しているコマツナは、じつは促成栽培のもの。価格は1束128円と低価格で販売されている。促成栽培は品質が低いのだから露地ものの1束198円より値段が低いのは納得できる。しかし店の顔である定番商品にこのような野菜をもってくるのはどういうことだろうか。なぜ品質にこだわらないのか、消費者に何をどのように選択させようとしているのか、理解できない。
 むしろ正しい生産方法による、美味で基礎栄養が整っているものを定番商品に持ってくるべきだ。そのことを消費者によく明示し、価格も高いことを説明して当然だろう。このように自信をもって消費者に推薦できる生産方法と商品を生産者に求めるのが正しい小売業の姿勢であり、顧客の信頼感を継続して得る方法と考える。しかしながら、この店はスポット商品を重要視し、定番の商品をおろそかにしている。この現状は、量販店の仕入れ担当者自身の野菜の知識が欠落していることを証明している。


■笑えない話
 1999年6月『有機農業の栽培技術とその基礎』(ハーバード・H・ケブフ著、莱根出版、発売・紀伊国屋書店)を翻訳出版した。内容的にも自身があり、まだインクのにおいがする刷り上がりの1冊を、比較的知的と思っていた女性に披露した。
 彼女はパラパラと中をめくり、本の印象を語った。
「ちょっと難しそう」
「最近有機の野莱がはやっているけど、どんな機械でつくられているの」
 一瞬、返す言葉につかえてしまい、次の言葉が出なかった。ただ、黙って本を手に取り鞄の中に戻した。
 しかし、それだけでは終わらなかった。出版後まもなく、古くから知っている生産者の奥さんから電話がかかってきた。
「立派な本出されたらしいね、おめでとう。ところで最近、有機栽培を頼まれることが多いんだけど、有機栽培の機械のカタログ、あったら送ってんか」
 生産者からこのような言葉が飛び出すとは夢にも思わなかった。さらに、最近のテレビを見ていると、施設の中で栽培する野菜の映像が多い。そのためばかりでもないだろうが、消費者のなかには施設栽培と無農薬の有機栽培とを勘違いしている人がいることを知り、愕然とした。
 しかし有機農業という字をじっくり見直すと、この表現では機械を使う農業にも見えてくる。有機の機は機械の機と勘違いしている人が実際にいることに気付き、思わず苦笑してしまった。しかし、笑ってばかりもいられない。こんな笑えない話の拝啓には、近代農業とは機械化された効率のよい農業だと多くの人が教育されてき事情があるのではないだろうか。機械による農業が有機農業だというのなら、合鴨による稲作なら有鴨農業になる。しかし、こんなへ理屈を言っていても始まらない。正しい情報をどのように伝達するか、その難しさを実際に肌で感じさせられた本の出版であった。


■スーパーマーケットは有機野菜が嫌い
sand13.jpg 先に、あるスーパーマーケットでの野菜の値付けについての問題点を指摘したが、この現象は単にこの店だけの問題ではなく、全国の量販店にもいえることである。現在、日本の青果物の60%近くが量販店によって取り扱われているのだから、スーパーマーケットをはじめとする量販店が、きちんとした仕入れで消費者に青果物を提供してもらわなければ困る。だが現状は、取り扱う青果物の量の増加傾向とは反対に、量販店の仕入れ担当者の青果物に関する知識は低下している。量販店の店内経営のなかで野菜売場はいちばん経営管理が難しい場所である。商品知識がなくとも、とりあえず陳列していれば商品が販売できた時代から脱皮できていない。
 バブル時代の延長で小売業が継続されているのだ。小売業が商品陳列業になると、その業者は衰退の道に入る。百貨店がその典型的な例であり、量販店もその傾向が強い。量販店は目先の都合だけで青果物を陳列しており、本部の計数管理だけが優先している。簡単にいってしまえば、とりあえず品揃えして陳列しているだけで、小売業としての顔が見えない。なぜこの青果物を選択して販売しているのか、この青果物のよさは何か、その消費の対象は誰なのか。これらを正確に伝達する努力が欠けては小売業としての経営は困難である。

 スーパーマーケットでは有機農産物も取り扱っている。むしろ有機表示の農産物を販売しないストアはまれだ。しかし、決して好んで推進し販売する姿勢ではない。有機と表示すれば消費者のウケがいいという程度であり、店頭に並べられている有機農藤物も単なる儀礼的な販売である。
 それだけではない。正しい農業生産の知識が低下しているなかで、スーパーマーケットの担当者が農産物の関係する業界を混乱に陥れているのだ。直接的には、スーパーマーケット担当者の仕入れ業者に対する要求が混乱の原因であり、市場、JA組織、農業試験場、生産者を惑わす結果となっている。
 スーパーマーケット業界の買い付け姿勢は、「我われは大量の青果物を取り扱っているのだから、我われの要求が消費者の要求である」というものだ。その要求には生産内容や野莱の知識はまったく無視されている。取り扱いやすさ、陳列の簡便さだけを青果物の品質として産地に要求した結果、農業生産の内容まで変えてしまったのだ。一方の生産者や流通業者は、お得意さまのスーパーマーケットを無視するわけにはいかない。

 食品を取り扱う業界は、最低のモラルとして国民の基礎的健廉に寄与する業務があるという認識は持つべきである。これこそ商品の選定の常識であり、基礎的な理念でなければならない。流通業者が量販店の意向に沿って農産物の品質を品定めし、その結果要求する商品態準は生産者の農業生産をゆがめ、外観だけ、形状だけがいい野莱を低価格で流通する結果をもたらした。



■虫付きの野菜を嫌う消費者

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多くの消費者が量販店を頼りに日々買い物しているが、これでは私たちの健康を守れない。なぜなら、量販店の買い付け姿勢は、健全な農業や消費者の健康を考えているとは思えないからである。消費者が商品選択の目を正確に持つ以外に量販店に改善を求めることは期待できない。
 スーパーマーケットで有機農産物が定着していない。それには消費者、流通者、JA組織、生産者にも多くの原因がある。

 有機ホウレンソウのタイプは葉が外に大きく広がっている。普通、ホウレンソウは1束に結束して販売されるが、こののタイプは結束するときに茎が折れやすく、見た目には美しくない。栽培機関が長いために充分に葉が広がっており、土や砂が茎と芯の間に入っていることが多いので洗浄が大変である。完全に洗浄しないで食べると「じゃり」と砂を噛むことが多い。その結果、消費者から嫌われやすい。
 さらに有機栽培は葉に穴が開いていたり、虫が付いていることが普通である。虫が付いていると、販売店にクレームを持ち込む消費者もある。有機栽培で虫付きは当たり前だが、消費者は当たり前とは言わない。これらのクレームは、仕入れ担当者に跳ね返ることが多い。
 どのような店でもクレームを最小限にすることが仕入れ担当者の役目である。有機野菜は葉に穴も開くし虫も付くが健康のためには必要だ、と消費者に正しく説明できない担当者は、トラブルを回避する傾向が強い。仕入れ担当は何を選択し、どのようにして店頭の担当者に正しい情報を流すべきか常に迷っている。 その結果、無難な商品の選択のほうがクレームは少なく、日々の業務がスムーズに終了しやすい。無難な商品とは、見た目がそこそこで、虫の付いていない化成肥料栽培の野菜にほかならない。そして流通業者の要求としてJA組織が生産者に「無難な商品」を求め、市場もそのような商品を求める。こうして「無難な商品」が蔓延していく。


■みんなが共犯者
 無難な商品を求められているのだから、生産者にすれば無理に手間ひまのかかる有機裁培をする必要性はどこにもない。化成肥料を使って露地で栽培したものを有機野莱と表示してスーパーマーケットで販売していることもある。
 この本を書き始めた2000年の9月、ある大手スーパーマーケットに行くと「減農薬」と表示した野莱を大々的に売り出していた。この店のブランドとして自信をもって売り出しているようなので、さっそく購入して硝酸の含有状況を調べてみた。すると、

ホウレンソウ  9800mg/㎏
コマツナ      8900㎎/㎏
チンゲンサイ  7900㎎/㎏

 減農薬とうたった商品がこの有様なのである。量販店も流通業者もこういうことに対して罪悪感をまったく持ち合わせていないようだ。
まさに、有機農産物ならぬ有機表示野菜が氾濫している。この状況を改善するために有機農業の表示に関する法律(改正JAS法)が制定されたのである。改正JAS法について→
 これまでは、販売上のテクニックとしてのみ有機表示していた量販店が多く、なぜ有機栽培が社会的に必要であるか、その価値を市場がまったく正当に評価していなかった。消費者もまた、感覚的な安全思考でしか理解していない。つまり、市場からの正当な要求がなかったことで、生産者はあえて大きな栽培上のリスクを負う必要がなかった。今まで書いてきたことを思えば、健全な有機農業の発展を阻んでいるのは、生産者、流通業者、量販店、そして消費者をも含めた共犯関係によるところが大きいのではないだろうか。
 これが有機農業を巡る現状である。有機農産物は、社会倫理が欠落して栽培できる農産物ではない。


■泥付き野菜が売られる怪?
 施設園芸が盛んになり20数年。効率を追求した結果、短期促成栽暗が主流となった現在、あえて効率を追求する農業から効率の悪い有機農業に切り替えても、生産者には何ら経済的メリットはない。しかし、農業による環境汚染は人体に影響しており、多くの原因不明の疾患として表れ始めている。とりわけ高濃度の硝酸塩が野菜に残留する危険性については繰り返し述ぺてきた。
 だが、いくら有機栽培が正しいとはいっても、野莱栽培と果実栽培は生産者にとって常に大きな賭けビジネスである。自然環境、台風、長雨、干ばつ、低温、暖冬などに常に生産は影響を受ける。そのため、栽培効率を上げるには、何よりも栽培期間を短縮することが有効である。
 例えば短期促成栽培のホウレンソウは、有機のものより栽培期間は半分以下ですむ。おまけに施設の中で栽培すると、天候による危険率は半分どころか5分の1以下に減少する。
繰り返すが、このように栽培方法と生産物の品質に差があるのに、ほとんど同じ価格で販売されているのが現状だ。
 生産者が自家消費の野菜と流通の野莱を別々に栽培することは周知の事実である。もちろん自家消費用では正しく栽培し、流通用には化学肥料や農薬を使用し短期促成栽培で効率的に野菜を育てるのだ。

 スーパーマーケットの自然食品のコーナーにもエセ有機野菜が堂々と陳列されている。有機農産物と放置農産物を混同し、ニセモノを有機農産物と表示している店も多い。栽培でなく放置されてできた農作物を無農薬、無化学肥料の有機野菜としていることがある。
例えば、スーパーマーケットの自然食品売り場に有機と表示された泥付きの野莱が並べられていたとしよう。そのときあなたはこの野莱をどう判断するだろうか。健康志向で有機野菜をほしいと思う入のなかには、泥付きは自然の象徴とばかりに買っていく人もいるのではないだろうか。
 確かに、自然食品などの売場では泥付きのままで野莱が展示され、有機野莱と呼ばれていることがある。有機栽培では農薬を使っていないのだから、多種類の菌類が付着しているのが普通である。食品の売場では直接ロに入れられるほかの食品もあり、大変危険な販売方法である。有機とは土が付いていることではない。野莱の貯蔵性を考えて洗わずに屋外などに置くこともあるが、都会では考えられない。マンションに野菜貯蔵場があるとは思えない。
 食品売腸では何よりも衛生面を重要視することが基本である。土付き野菜の販売は、食品を理解していない危険な方法である。これらは無知としか考えられず、ただのまやかしと見るべきである。