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ロハスデザインの実践

ロハスデザインとは流行や個人の問題ではなく、現在の社会に必要不可欠な環境問題の解決方法なのです。ここでは、ロハスデザインの実践として実社会でどのような活動を行っているのかご紹介いたします。

現代社会への警鐘

◆使い捨て文化の発信地、米国の肥満

米国人の肥満が先か、使い捨ての生活が先かを分析されたデータがないが、肥満の多さと使い捨ての文化はすさまじいの一言につきる。
日本に使い捨て文化を教えた本家だけに、物質の必要性と必要でない物質に対する、物離れ、商品の価値のサイクルの早さ、スピードを常に追求するDMAは異常にも見える。
スピードの早さが商品の価値であり、常にスピードを求め、楽しむ。商品だけではなく、あらゆるスポーツも同じ感覚である。スポーツ選手はスピードが低下すると商品価値は無く、簡単に使い捨てになる。積み上げられた名声も現在の価値がなければ、現場では無用の選手として、フィールドに立つ場所が与えられない。

スピードを求める感覚は、日本人が主に移動する東京と大阪の間は、精々500kmであり、新幹線のスピード、最高300km/時間で十分に満足する早さである。飛行機に乗ってもこの間の移動の時間には、それ程の差は生じてこない。
米国では西海岸と東海岸の主要都市を移動するとその10倍以上の距離があり、求める早さのベースが異なってくる。トラックも出来るだけ大きく、パワーがあり、早い車が求められる。早さが経済活動の原動力になっている。
それだけに、早さについていけないことは経済活動では不要な扱いになり、廃棄されやすい。「使い捨て」にされやすい経済活動が継続していた。
物質の価値は常に現在の価値で判断する。現在価値を認めない物は、不必要となり廃棄するか目の前から消えていく。
商品の価値判断も同じである。
商品価値の判断は人々の生活においても影響を受ける。
ファーストフードの繁栄もその一つである。空腹を如何に早く満たすかではファーストフードに優る店舗は少ない。
米国人の経済的な追求から自然発生的に作り上げられた食生活である。
早く、カロリーも多く、外観もその場で満足できる大きさ、ゲップが出るほどの満足感。
ハンバーガーの発祥地だけに、田舎も都会もハンバーガーが立ち並んでいる。ファーストフードやコーヒーチェーンの店舗は、使い捨ての容器と紙ナフキン、肥満に結びつく要因が町のあちこちで1セットになっている。
大阪人の立ち食い、立ちのみを遙かに越えており、おまけに、大食いで早食いである。
レストランでは盛られる量が驚くほど多く、ゲップが出るほど食べるのが好きである。
街のホームレスも何を食べているのか肥満が多い。
米国人と日本人の生活の違いに定住の意識の差がある。米国人は同じ場所に定住する意識が少ないのか、引っ越しが好きなのか、一生に何度も何度も、引っ越しを繰り返す。
同じ都市で生活していてもたびたび引っ越しをする。
給料の良い仕事に就けば、家賃の高い住居に、失業をすれば、安い住居を探し、引っ越しをする。製造業の経営者は販売不振と同時に生産量をカットする、生産量の縮小は直ぐにリストラを実行する。リストラの解雇通知と同時に、失業し、そのスピードも早い。同じ住居に定住するには、職業の安定にあり、米国では終身雇用の制度がなく、難しい。
ボストンなどの学生の多い街は、5月の期末と8月の終わりは、街中が引っ越しでひっくり返る。そして街にゴミが散乱する。歩道に沿って、引っ越しの荷物なのか、捨てていったソファーなのか、区別が付かないほど、積み上げ吐き捨てらている。
次の宿が見つからない学生は、9月1日の午前10時、時間切れの、ぎりぎりになるまで居候を決め込む。最後にレンタカーに積み込めない荷物は、捨てていく以外になく、路上はゴミの山になる。
米国では「使い捨て」は生活のスタイルから必然的に作られてきた。
大西部の時代から移動する生活習慣が多く、定住の生活スタイルが少ない。家具の多くは据え付けであり消費財を持ち込めば、明日からの生活に支障がなく、物質に対する愛着にも違いがある。必要とする期間だけ、その商品が機能していれば、それで良し、余分に性能を高め価格の高い商品を求める必要がない。
不思議なことに9月2日には、街露地や歩道のゴミがきれいに片づけられている。
これほど、引っ越しを繰り返す生活であれば、引っ越しに慣れているはずであるが、荷造りは大変不器用で、家具のあちこちに傷があり、お皿などの瀬戸物には欠けた傷が多く見られるが、あまり気にしない。
ロープの跡が付いている家具や、左右の模様が違うガラスの戸が入っている家具もたびだび見られる。
一人所帯にも関わらず、直径30cmもあり、3リットルも入る大きなアルミの鍋を2つも3つも買い込んでいたり、大きなアルミのフライパンを料理に使う。
食べる量に合わせて小鍋を使い分ける習慣が無いようである。
何人分になるのか解らないが、大きな1袋のパスタをドカッと湯がき、食べられなければ冷蔵庫に入れている。味の劣化もそれ程気にしないし適量の感覚が鈍い。
「もったいない」「合理的」と言う認識が生活習慣の違いなのか、日本人とは全く違う。大量生産され、価格の安い物は、それだけの価値としか捉えておらず、物質に対する情緒的な価値の判断に違いがある。
大量生産された物質の多くは消耗品として捉えており価値判断はその価格である。
一品の貴重な価値か、大量生産された消耗品の価値か、価値判断はこの2種類で判断する。
中間的な価値判断にほとんど興味をしめさない。
日本の戦後復興に寄与したのは、米国の使い捨て文化による低価格の消費材である。
大阪を中心に消費材の単一商品、大量生産が可能な生産方法の確立によって、低コストで大量生産し米国の流通業に輸出された。家庭雑貨から繊維製品、スポーツグッツ、自動車用ツール、大工用、園芸用ツールそして家電製品と時代の波に整合した消耗品として商品が次々と開発され低価格で大量に輸出されていった。
昭和40年代の始めから量販店が次々とオープンした。米国への輸出されていた生産ラインの商品がそのまま、量販店の店舗拡大に合わして国内消費に向けられ、日本も使い捨てに近い消費が拡大した。
米国のファーストフードではハンバーガーやフライドチキンが多いが、日本にも昔から同じ形式の外食のスタイルは存在していた。日本のファーストフードは低カロリーのうどんやそばとお茶、簡単なスープ汁物であり、他に贅沢なカレーライス等である。米国は高カロリーの肉食と炭酸飲料が多い。昭和の30年代の後半、東京オリンピックが開催された当時の日本人は、肉類は贅沢品である。ハンバーガーは贅沢なファーストフードであった。
日本のファーストフードではお皿にコップは瀬戸物の容器が多く、ペーパーの「使い捨て」容器はまだ存在していない。マクドナルドのハンバーガーを包む紙と持ち帰りパックは「使い捨て」の容器であり、かっこよく、贅沢な仕様に見えた。
一号店は銀座から始まり、二号店は京都の新京極にできた。「使い捨て」の容器と店舗が斬新に写り、若い人々を引き付けた。新京極店には修学旅行の学生で行列ができた。
米国人の肥満の原因には、高カロリーのファーストフードと炭酸飲料が上げられ、昼食では立ち食いや歩きながら食べる光景が多く見られる。昼食の多くはファーストフードを利用する。ファーストフードではポテトチップが大盛りで付いてくる。
米国人の食事方法は、日本人がご飯にはみそ汁が定番のように、日々365日続いてもあきることがないようだ。
ハンバーグのミンチ肉を美味しくするには、脂肪分を多く入れる。
ファーストフードの野菜の種類は比較的簡単でレタスとトマト、タマネギに限られる。
米国から新たな外食としてチェーン展開されたファーストフードの多くは「使い捨て」の文化として日本に定着していった。
各国の生活習慣を観察するには、映画の場面にその特長がある。
生活習慣に「使い捨て」が多い国は、アクション場面で派手に建物や椅子やテーブル等の家具や家電製品そして食器をたたきつけ、ゴミの山を作り上げる。
ハリウッド映画は、破壊のすさまじさが売り物で、そのままの映像が今のイラク戦争である。建物をぶっ飛ばし、これでもか、これでもかとぶっつぶし、その派手さを競い合うことが、名画面と錯覚を起こしており、一種の中毒になっている。アクション番組でなく、家庭の生活でも夫婦喧嘩になると派手につぶす。「使い捨て」の象徴した生活スタイルが感情の制御機能を退化させ安易に戦争を引き起こす原因になっているのではないか。
イタリヤやフランスの映画では、派手にぶっつぶす映像よりも、俳優が演出するアクションの切れ味から緊迫を演出する。日本人には「使い捨て」文化は一時的に受け入れたが、残念ながら、米国並みには到達する事が出来なかったことは幸いである。

米国では、食べる物や生活道具の多くが使い捨てに近いだけではない、農地も使い捨てにされている。農地の地力が低下すると廃棄していく。農業の捉え方に違いがあり、短期間の収益だけに重きをおくと地力を蓄える期間が無視され、一作、一作の収益が重要視される。農薬と化学肥料への依存度が高くなり、地力の低下から生じる減収は、採算性からその土地の価値を失い、その結果、土壌を放棄し他の新たに耕作地を求めて移転する。
他の産業構造も全く同じである。
戦後、低価格商品の多くは日本で生産された。日本の人件費が高くなり、日々利用する「使い捨て」商品の多くの製造コストが高騰すると次は人件費の安い、韓国、台湾に移り、そして中国に生産地を移転した。米国の廃棄農地の多くは砂漠化と塩化が激しく、大地としての価値を喪失した。
この現象は、農業の大地だけではなく、一般産業全てが同じ環境にあり世界規模で拡大している。
日本における大量生産は産業復興に寄与し、地域産業は潤い経済的な安定に寄与した。
しかし、全てがハッピーになったのではない。鉱山地域の跡地にはカドニウム汚染の大地は放置されたままであり、製造工場の跡地には多くの産業廃棄物から生じる環境汚染大地が残り、不動産価値を失った場所も存在している。大阪湾、東京湾、瀬戸内そして琵琶湖や河川に堆積している汚泥はそのままである。公害の原因となる工場の多くは後進国に移転したが、移転先の後進国は過去の日本と同じ公害の問題を抱えている。
たらい回しであり、地球規模で環境汚染を拡大させているだけである。
COから生じている温暖化の問題と同じである。
「使い捨て」の生活習慣の転換が必要である。



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