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関西文化とロハスデザイン

三都の食生活の違いを分析し、食生活の違いから生じる精神性や産業構造の違いを 分析することによって、食習慣から作り出される生活習慣や精神性を探索し 時代の課題として検証します。

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

◆大阪の街-浪速の街

大阪は、商人、町民によって繁栄した街である。
京都の朝廷、公家の基に管理され発展した街ではなく、瀬戸内の交通と淀川の流域交通を利用し、西日本及び日本海側は、北海道からも多くの物質が集積し、町民の力によって、発展してきている。

食べることに対する執着心は、日本のどの街よりも強く、今もその伝統は引き継がれている。
浪花の街の食文化、日常の食品、外食を知るには、「花の下影-幕末なにわのくいだおれ」清文堂や、大阪冬の陣図屏風、大阪市街図屏風を見ると良く解る。浪花の食文化や町民生活を適格に描写されている。
この書は、浪花の食べ物の小売りの状態や街路の雰囲気、顧客と店主の駆け引きも描かれており、外食の店舗名や調理の内容が書かれ、呼び込みや売り手や買い手の動作をはじめ、
外食では、店舗の中の客の一挙手、一挙手が克明に描かれている。
作者は不明とされているが貴重な浪花の食文化を解明する書である。
今風の中食(コンビニエンスストアーの食)も多く、その種類と内容の豊富さに驚くばかりで、京都の作法や形式、慎ましい食生活の習慣とは、全く違った浪花の街の風景が描かれ、タイムスリップされた浪花の風景が目の前に浮かび上がってくる。
絵には、現在の地名がそのまま記され、桜の宮、天神橋、堂島橋、戎橋、船場、新町橋、等、書を手に持って、浪花の街を見て回ると昔の面影が残っている場所や石碑が立っていることもある。
この書に描かれている内容から判断すると、現在の全ての外食産業のスタイルが江戸時代に完成されており、居酒屋、ファミリーレストランのスタイルを始め、風呂付きのレジャーランド、スープストック、汁類を売る店も多く、ドライブスルーに類似した当時の交通手段の一つ船舶に食べ物を売る店も多くあり、生け洲料理の店は戎橋の界隈や道頓堀川に船を浮かべ、船底に魚を生かし調理している。
京都では高瀬川沿いの三条を下がった場所(現在この地は、安藤忠雄が若い頃に設計されたコンクリート、ブロックの建築物が建っている。)に、生け洲があり川魚を料理していたが、大阪は海の魚を既に生け洲に生かして出している。
江戸時代の浪花の街は、現在世界に存在する外食産業の形態、販売スタイルが完成されていたと云っても過言ではない。
外食の店では、侍、商人、僧侶が普通に同室で食事をしており、侍の威厳は全く描かれておらず、僧侶の慎ましい姿ではなく、空腹を満たされる喜びが顔一杯に描かれ、侍の帯はほどけかけ、刀が今にも落ちそうであり、僧侶の衣の裾は、はだけている。
"食べる時は皆公平、浪花の街には、空腹時に、位や威厳、慎ましさは通らない"
魚屋の店の前に、侍なのか、浪人なのか、大小の刀を差し、子供を背にオブって、買い物している絵が描かれている。
江戸時代から浪花の街では、侍の威厳を通す必要がなかったのか、威厳が通らなかったか、浪花のくいだおれは、身分の上下に関係なく食べる楽しさは皆同じ、美味しいく食べるのに身分は関係ないとする不思議な町民のパワーが見られる。
米蔵には大きな米田藁が運び込まれ、米だ藁から、落ちた米粒をかき集める、その日暮らしの老女にも暗さが無く、その姿を目で追いかける番頭の後ろ姿にも優しさが描かれている。
魚屋の店先には、ふぐ、鯛、魚種も豊富に描かれており、一抱えもあるマグロを切り売りしており、この時代からスイカも切り売りが見られ、カットフルーツやカット野菜のルーツが存在していた。
焼き芋やふかしいもも売られている。
肉も既に売られており、俵に包んだ鹿肉の足が見られる。
漬け物やの看板がでているが、松茸が売られており、漬け物は冬期の季節だけ売っていたようである。いまも京都にある三条寺町の漬け物屋とり市は、春は筍、秋は松茸に店変わりする。
浪花の街の良さは、幕府や所司代によって管理された街ではなく、町民が自身で秩序を作っていった街である。
大阪の堂島橋から江戸堀川にかけて、西日本の各大名や遠く、加賀、村上、津軽藩の蔵屋敷があり、世界に先駆けて既に先物取引(デリバティブ)が始まっている。
各大名が米を金に交換し、藩の経済運営を行っていた場所である。
多くの食糧が集積すると次々と新たなビジネススタイルが発案され、町民力によって発展してきた。江戸時代の始めは、酒の製造に関して近衛家によって牛耳じられており、浪花の街に出先を作り、維持しようとしたが、維持ができず、浪花の街から去っている。その後明治時代になるまでは京都の酒とみりんの製造量は、近衛家の管理下におかれていたようである。
浪花の街は、官僚による管理や押しつけられた秩序には、馴染まず、町民が自身で秩序を作り維持してきた。
京都や江戸と浪花の街は、町民の精神構造が全く違う街である。
東京の人々が、今も大阪市民が持つ感性や秩序の認識に批判的であるが、これは大阪の伝統であり、町民のパワーが沸き上がる源でもある。
大阪冬の陣図屏風では、勇ましい侍姿の横で、露天の食べ物が売られ、汁物、酒、タバコを侍相手に商売をしている。大阪市街図屏風も数多くの食べ物や絵が描かれており、京の市街図屏風に描かれている風景は、神社仏閣と公家の立ち振る舞いの姿であり、町民が食べ物を求めている姿はなく、浪花の街に描かれている図とは全く異なっている。

現在のコンビニエンスの中食に類似する商品は、橋の麓に多く見され、餅、団子、汁、そば、うどんの立ち食い等である。
浪花の街は別名八百八橋の街、橋の袂は、平地から見ると堤防にかけて高くなっており、商売人や丁稚さんが荷車を押し上げたあとに、汗をかきかき、一服する場所がビジネスチャンスの場所として選ばれている。
場所の選択は、最近のサラリーマンが国道のドライブレストランを選択しているのと変わっていない。
大阪人は、待つことが嫌いである。
浪花の街は、商人が多く、その下で働く、丁稚の人々が主人の目を避けて、一服し、いち早く食べられる中食の光景が何ページにも書かれている。
主人の目を盗み、一服しているときに、注文してから、のんびりと食べ物が出てくるようでは、間に合わず、常にいらいらしながら食べる光景こそが、浪花の街のおもしろさでもある。
簡単な床几や立ち食いの店が多く、今のコンビニエンスの前で座り込んで食べている若者と全く変わりがない。
大阪人は、早い、美味い、安い、多いことが食べ物の店を決める要素であり伝統として息づいている。
大阪の外食は庶民を相手に発達しており、京都とは異なる食文化が作られてきた。
食べ物のメニューの表現に漫才の掛け合いや駄洒落を入れるのも大阪の特長である。
うどんの名前に付いたきつねとたぬき、ふぐ料理の鉄砲とてっさや看板の大げさな表現はこの時代から引き継いだ文化である。
浪花の頃の街のスタイルと今も食べる雰囲気はあまり変わっていない。
京都では、外食の店に入り、席に座り、ゆっくりとメニューを開げ、食べる料理を選択する。店員は、お客が席に落ち着き、メニューを一通り見た頃合いを計り、少し時間をおいて注文を聞きに来る。
大阪では、お客は、店に入る前に、食べる物を既に口と頭の中で予定しており、椅子に座ると同時に、"ご注文は""何にしましょ"と店員が間髪を入れずに聞きに来る。
お客もに直ぐにオーダーの内容が口から飛び出している。
実に手際がいい。
店に入る時点で注文する食べ物が想像されており、頭と口のなかはこれから出される食べ物を既に想定している。
口の中には唾液が溜まり、いまか、いまかと待っている。
待つ、時間が少しながくなると"いらいら"している。
口には唾が溢れ、店員がお盆に乗せた食べ物を運び出すと誰のテーブルに運ばれるのかと目で追っている。
お盆に、注文した調理品が乗っていると"わしや"、"わしや"と手で招く、順番が少し遅いと目が催促し、店員の後を目が追っかけて血走っている。
注文品が出てくるのを"早く、早く"と催促しているのが、大阪の人の食べ方である。
大阪の性格にぴったり、合った食べ物が、たこ焼き、お好み焼き、そして焼き肉である。
店の前まで来ると既に醤油やソースたれのこげた香りが漂い、食欲をかき立てている、待てない人のには、どうぞご自身で調理して下さい。
とりあえず目の前に食べる素材が並べられると落ち着きを取り戻す。

大阪には江戸時代から栄えた豪商が多く、京都の形式の調理ではなく、豪華に飾る魚を中心にした新鮮な料理は、後に京都の料理人に大きな影響を与えている。
京懐石から割烹料理に変化していった。
大阪では焼くと云えば、食べる物を連想する。京都では焼き物は、清水焼か、信楽の陶磁器をイメージする。
4月の桜の頃は、新入社員の歓迎会が多く、大阪から宇治や京都の桜見物が多くなる。
大阪では、味にうるさい、女子社員の仕切やさんが、場所を決め、予算を立て、はぶりをきかす、宇治川の観光案内を広げ、朝日焼きに大きく、赤丸を付け、ここで昼食と書かれていた。
宇治川を上流の左岸に朝日山がありその麓に古くから朝日焼きの表示がある。10円玉に描かれている平等院の対岸である。
朝日焼きは陶器の窯元の一つである。大阪の人は、たこ焼き、お好み焼きの新手の焼き物、外食の店以外に意識はなく、食べ物以外に浮かんでこない。
最近は朝日焼きの窯元の店にも、軽食や、コーヒーのコーナーが作られている。
但し朝日焼きの新たなメニューは見られない。
大阪人は手でふれ、目で見て、値切り、感触を確かめるて判断する。
始めて見る食材は、自身で必ず味を確かめ、納得しなければ買わない。
日本で"ただ"無料の試食に一番多く、客が集まるのは大阪である。
試食がまずければ、早く散っていくのも大阪である。
店員の目の前で"これなんや"、まずければ即座に"こらあかんで"
美味いと思えば、必ず値段を聞く、"なんぼや"
安いと思えば、"まあまあやなあ"高ければ"美味いけどたかいな"、間髪を入れずに"うれるか"店員に尋ね、間違って"もしとつや"と云えば"そら高いからや"と値切りの姿勢に入る。
ほしいと思えば、商品を一つだけ手に取らない、2つを手に持って、
"2つでなんぼにする"
店員が売れてるでと云えば、そのまま真に受けることはなく"ほんまかいな"と必ず疑いの目で見る。
安いと思っても、値切る言葉は忘れない。
大阪では、値切る言葉は買うための挨拶の一つである。
他人の意見に左右されるよりも自身で確認し結論をだす。
京都とは全く異なった早さで、良し悪しを判断し、結論を出している。
京都では、新しい店が出来ても、直ぐには入らない、2~3度、店の前に足を運び、店の雰囲気、客の出入りを周辺から確かめて、十分に吟味してから、始めて入る。
店舗を選択するにも時間をかけて選ぶのが普通である。
東京では、始めて食べるものは、他人の意見を求める傾向が強い。
自身の意見よりも、"あなたはどう思う"何人かの意見を聞き、誰かが美味しいと云う言葉を待って、始めて自身で納得させる傾向が強い。

最近大阪は、経済全体に低迷しており、外食産業もその影響を受けている。
江戸時代の浪花の商売人がこの実体を見ると、じたんだ踏んで悔しがるはずである。
外食産業の多くが東京資本に押され、圧倒されている。最近の阪神タイガースとは裏腹である。
大阪の経済的変化と大阪資本が運営している外食産業の単価の内容がミスマッチしている。単価だけではなく、米飯の味覚もコンビニエンスのおにぎりより落ちており、中食の弁当に価格も味覚も対抗できていない。
大阪の経済変動に販売価格が連動していない。
コンビニエンスに負ける理由が理解されていない。
商売をさぼっている証拠でもある。
大阪から今の時代に整合した、新たな発想が見られず、世界に発信する調理も料理作られていない。低迷している大阪経済を沸き上がらし、復活させるのは浪花の外食産業の伝統であるが、その意識が薄れている。
浪花の街は大阪人が作る時代時代の秩序によって生かされる。
官僚の押しつけ的な秩序は、大阪には似つかない、行政と政治は、大阪人の自由な発想を閉塞させ、活力をもぎ取っている可能性が強い。



食文化と文化密度の関係

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

食生活の違いと産業構造

京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係