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関西文化とロハスデザイン

三都の食生活の違いを分析し、食生活の違いから生じる精神性や産業構造の違いを 分析することによって、食習慣から作り出される生活習慣や精神性を探索し 時代の課題として検証します。

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

◆開国の街神戸

神戸は、新しい京都や大阪にない国際都市の香りがある。 
京都、大阪に見られない、東京や横浜にもない、レトロな洒落た国際都市の香りがある。
京都が和風の優雅さならば、洋風の優雅さがあり、大阪のがさつさが見られない。
東京の八重洲、銀座、新橋、神田、上野、池袋、新宿、六本木、渋谷、品川には異なった顔があり、横浜にも多くの顔がある。しかし、神戸の都市の香りは東京にも横浜にも存在しない落ち着いた洒落た優雅さがある。

大震災の前は東灘、灘、芦屋、西宮の多くの場所で落ち着いた優雅さが残されていた。
大人の国際都市の顔があり、優雅さがあった。
外国人との交流によって作られた煉瓦作りや漆喰の洋風の雰囲気であり、これまでに日本人が持っていなかった感性から新たに国際都市して市民が作り上げた街である。
海岸に近い港湾荷役のエリヤ、造船の職工街のエリヤ、ゴム、靴製造のエリヤ、貿易港のエリヤ、中華街、山手の洋風の館、高級な洒落た住宅街に分かれて海岸から六甲山の山頂に向かって街が構成されている。
街の風景が市民の活動する時間の移り変わりに伴って、雰囲気を変えていく。
元町の乙仲通りには、朝の6時からパンとコーヒーの香りが漂う喫茶店がオープンしていた時期があり、早朝からパンを焼き、コーヒーの焙煎する香りが街の香りになっていた。
店内には、古い桜の木目の目立つ柱が白い漆喰で収まり、棚には、東洋蘭の小鉢が並び、小さな花を付けていた。
元町突堤の昔の船着き場は、瀬戸内や四国、九州から到着する朝一番の連絡船を降り立つと、天井が高く、靴音だけが響き、殺風景な建築物であったが、中突堤から陸橋を超え、国道を渡ると、それまでの雰囲気とがらりと変わり、レトロな喫茶店からコーヒーとパンを焼く香りが道一杯に漂い、連絡船から降りるお客の疲れを、忘れさせる早朝の顔になっていた。

造船所の近くのエリヤの喫茶店では、3交代の職工さんが多く出入りし、早朝から風呂上がりの体臭を発散し、帰り道の途中で一服し、喫茶店のモーニングコーヒーを楽しみ、朝刊を広げ、阪神タイガースの試合結果や好みの選手の活躍を紙面で追いかけ、ゆっくり帰宅されていた。
職工さんが一服を楽しみ、帰り始める時間帯には事務方の出勤時間に変わり、入れ替わった客から客へと、何回転も喫茶店のスポーツ新聞が楽しまれていた。スポーツ新聞は、顧客から顧客へと秩序良く回り、欠かせないモーニングサービスになっていた。
早朝からコーヒー店がオープンしている名古屋から尾張の一宮では、一人の客が数部の新聞や雑誌をテーブルに積み上げ独占しながらモーニングサービスを食べている。
同時に数部を読めないがないが、読みたい新聞、雑誌を独占し独り占めする顧客が次々とやって来る。
ドラゴンズが勝つと中日スポーツ新聞が数多く雑誌置き場おかれている。
神戸では、あり得ない光景である。
神戸は労働者の感じではなく、優雅な職人さんマイスター的な雰囲気が漂っていた。
朝の6時からオープンしていた雀荘も神戸だけである。
雀荘とコーヒー店が1階と2階でセットになっている店も多く見られた。
雨になると船舶荷役が中止になり、雨の日ほど店は一杯になっていた。
一昔前の昭和30年代は、通称"あんこ"のおっちゃんが酒の臭いをぷんぷんさせ、うろついていた時代もあったが、どんどん街の雰囲気を模様替えし、作り変えている。
荷役労働者も殺気立つ雰囲気は比較的少なく、言葉使いは荒っぽいが、動作には落ち着きが見られた。
大阪駅の朝のコーヒーは、立ち飲みに近く、忙しく、あわただしいコーヒーの香りであるが、神戸はゆったりと楽しめる雰囲気があった。
神戸は開港と同時に、多くの外国人が居住するようになり、これまで日本には、経験していない、社会生活のマナーを目の前で、演じられた。
西洋人は、道やエレベーターで、自然に女性に場所を譲る光景があり、日本人の男尊女卑の意識から、奇異であったはずである。
街路で紳士が女性をエスコートされる姿は、大変優雅で、映画のドラマの現場を見せつけられている姿から神戸の人々は新しい価値観を取り入れてきている。
食事の場でも男女が同席したときのマナーに違いがあり、食べる雰囲気や習慣の違いを肌で感じながら、明治の開国から国際港として発展してきている。
中華人街があり、インド、パキスタンの綿布を扱う商人、イギリス、ドイツ、アメリカ、スペイン、フランス、トルコ、ロシア等多くの商人が在住した歴史があり、それぞれの国から調味料、スパイス、食材が持ち込まれ、エスニックな料理店も存在していた。
明治時代からテーブル椅子の店舗が作られ、大阪、京都には存在しない雰囲気が定着しており、食べる雰囲気は、それまで日本人が経験していない、ゆったりと時間をかけて、対話を楽しみ食べられている。
その姿は、京都の形式や儀式的ではない、食べる時に会話や話すことは行儀が悪いとして躾けられた、従来の日本の雰囲気とは全く異なっている。
大阪の町民もこれまで意識にない食べる雰囲気が演出されていた。
スローフーズの習慣が早い時代から神戸の生活に定着しており、海外との交流から自然に伝わってできた文化である。
国際的な交流によって街の雰囲気が構築されていった過程が街角の随所に見られ、山手通りを六甲山に向かう坂を上がると、外人居留地があり、当時の建築物がそのまま数多く残っている。
東灘から芦屋、夙川にかけて、大阪で成功した多くの商売人が競って、豪邸を建築している。その多くの建築様式は、明治に作られた外人居住区の建築様式を取り入れている。
座敷の食事からテーブルと椅子の食事が早くから取り入れられていた。
形式だけではなく、朝食にパンを摂取する家庭は現在も全国一多い、明治時代から早く西洋的な生活様式が継続されている。



食文化と文化密度の関係

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

食生活の違いと産業構造

京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係