-バブル経済は、飽食時代を引き起こし、その結果、生活習慣病の糖尿病やメタポリック シンドローム多発させ、中食の簡便性の浸透はニートを日本中に蔓延させた-
豊かな食文化とは、飽食ではなく、美味しい食材を生産する技術と美味しく調理する 創造性が一体になり、健康的な食生活を育成し、調理を評価する市民力によって、器や道具を創作し、住居や建築物の芸術的、科学的な発展が見られる。豊かなで密度の高い食文化の継続は、その地域の文化意識や科学的知識の高さを示している。
バブル経済の頃、経済の豊かさから暴走し、日本中が美食と飽食を求め沸き上がった。テレビ等のメディアは日々美食と飽食の現場を放映し新聞紙面に掲載され続けた。世界で美味とする食材を片っ端から集め、その調理方法を競い、食べ比べる番組が連日報道された。他方、早食い、大食い、ラッパ飲み、一気飲みを競う番組も後を絶たなかった。その結果、バブル経済の崩壊後に残された国民の健康は、糖尿病とその境界域で1650万人にも膨れ上がった。メタポリックシンドロームは1800万人とも云われている。飽食や大食い、ラッパ飲み競争の番組は、今も継続し放映されている。世界一の早食い、大食い、ラッパ飲み比べ、これらは食に対する冒涜以外の何者でもない。世界ではその日に食べることも出来ない飢えに直面している人口は、日々3食、食べられる人の人口を遙かに越えている現実から見るとあまりにも馬鹿げた番組を作り、放映している。視聴率さえ上がれば価値があるとするマスコミの無神経さにあきれるばかりである。ギネスブックに挑戦する世界一の巻き寿司、世界一の大鍋を使った、いも煮鍋、世界一のお好み焼き等、世界一長い串焼き等、全く意味のない挑戦であり、食の重要性からあまりにも懸け離れている。地域振興は名目ばかりで浪費の癖が抜けない自治体の遊びが多い。美食と飽食を煽った結果が、大量に糖尿病疾患に罹患した人口の現実を見ると報道機関の無責任さに腹立たしく怒りさえ憶える。
日本の景気の衰退と同時に食の簡便性を歌い文句にした、中食がコンビニエンスストアー量販店、百貨店、専門惣菜店が氾濫した。簡素化と簡便性は根本的に意味が違い、簡素化は失う物が少なく、自然環境に与える負荷が少なく自然環境を豊かにする。簡便性は、一見すると便利であるが、失う物が多く、次への危険性が増加する。野菜の促成栽培は、栽培期間が短縮され、簡便性では成功したが、野菜に含まれる基礎的なミネラルやビタミンの量が減少し栄養成分の含有率が低下し多くの野菜の価値を失った。野菜としての価値を失い、反対に多量の硝酸塩濃度と使用する農薬の種類が増加した。その結果、環境汚染が生産地域で蔓延した。養豚も養鶏も飼育期間を短縮することでは、簡便になったが肉質の基礎的な栄養成分のアミノ酸類やタンパク質の含有量が減少し、反対に抗生物質とホルモン剤が増加し、その上に鶏糞と糞尿がその場に堆積し、土壌や地下水の硝酸濃度が高くなり、環境汚染がひろがった。肉質の価値を大きく失い、同一場所に大量飼育することから環境負荷は増大した。中食は簡便であるが、食から作られる健康への価値と常に日々料理することから養う、科学的判断力、応用力、工夫する能力が低下し、市民レベルの知識の劣化と退化が始まった。国民のほぼ半分の人々が日々利用する中食は、国民レベルで知能の退化と劣化を促進する要因に結びついている。そろばんと暗算は、数的な感性を豊かにし、数学の基礎的能力の育成に役立った。電卓は簡便であり正確に計算されているが、国民全体の数学力、数学的感性が低下した。
町中に溢れる中食の存在は、これまで築き上げてきた日本の食文化と文化密度が薄められ、バナナやマンゴーが自生し手軽に空腹を満たすことができる地域の人々が、気楽な生活から築かれた文化密度と類似してきている。ニートの生活スタイルは、バナナやマンゴーが自生している地域の生活スタイルと全く変わっていない。思考力の必要としない生活スタイルになっている。日々の生活から学ぶ必要が無くなり、知識の密度が低下し、このままでは、これまで築き上げてきた日本の文化的価値や歴史的遺産を喪失する危険性が強く、現実に喪失し始めている。簡素化、合理性、利便性を常に追求するスタイルは日本人のDMAであり、特長である。簡便性は、必ず失う物が存在することを念頭におく必要があり、簡便性や合理的にすることは日本人の本能に近い要素がある。その結果、何を失うのかを分析し、確認し、洞察し、その補完をどのように工夫するかを欠いて、利便性を喜ぶことは大変危険性が高い。失う物が物質だけではなく、人々の能力、思考力、知力、判断力、応用力、科学力や創造力を失うことがあり、国民の知的能力の低下は世界における日本の価値すら失う可能性が強い。その結果は、社会的、国民的、国家的な損失だけではなく経済的にも大きな損失に結びついている。
日本人は経済的に豊かな時期が長く続いた。日々の生活を快適に過ごす方法として、国民自身の手でその場で処理すべき事項の多くを行政、公務員に押しつけ委託した。公務員に押しつけ委託することは簡便であり、その場では自身の傷みを見ない。その結果は公務員の数を年々大量に増加させた。国民が自己処理すべきことを自身で処理せずに、非効率と知りながら何でも行政に押しつけた結果は、地方行政と並びに国家予算の増加に結びつき、国債、地方債の増加に結びついている。行政が行う処理事項は、公務員の手で処理されることはなく、その場で処理が可能な事項も予算を組み業者に入札させ、一定の書式が整い期間が経過して処理される。処理には時間が掛かりコストは自動的に増加し、自然に政治と行政、業界との癒着体質が作られる。その結果、改善の見通しすら出来ない程、困難な大きな国家の負債となって横たわっている。安易な簡便性の要求は、単に物質だけではなく国家の財政や経済全体に影響を及ぼしている。
食文化と文化密度の関係
京都・大阪・神戸関西三都の食文化
食生活の違いと産業構造
京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係