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関西文化とロハスデザイン

三都の食生活の違いを分析し、食生活の違いから生じる精神性や産業構造の違いを 分析することによって、食習慣から作り出される生活習慣や精神性を探索し 時代の課題として検証します。

京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係

◆京都市、大阪市、神戸市の歴史と市民気質

京都、大阪、神戸は、都市が形成された歴史的な背景や年代には違いがあり、都市形成に欠かせない祭事や行事が祭礼と儀式等の作法として伝承され、市民気質、言葉使い、生活習慣として継承されている。歴史的な文化の積み上げから食文化を作り出しており、同じ食材を使用しても、京都と大阪、神戸は食べ物の好み、調理のメニューやレシピ、食べ方に違いが見られる。

■京文化と京料理
食べ物への感性、食べる習慣にも違いがある。
京都市民、京都は1200年以上の歴史があり、その間に時代時代の覇者が変わり、朝廷や幕府によって支配された。住民生活は時代の覇者や祭事を仕切った社寺仏閣と密接に結びついており、社寺仏閣の行事や祭事に左右され、影響を受け継続してきた。
江戸時代になると街並は小さく細分化され、町屋として町民に割り振りされた。その形は現在も町屋としてそのままの町内ごとに家屋割りが残されている。
町屋の家屋の割り振りは、矩形に整備された道路に沿って、1軒の間口の広さは2間半から3間、町内の割り付けの大きさに応じて、生じた空地の奥は、路地割があり、半間、1間の単位で細長く入り込み、長屋の家割りがある、一定の大きさに細分化され矩形の町内が軒を連ねている。昔からの町屋の家は、2間半の間口の家割りの大きさでは、玄関の入り口の広さは半間、3間の間口の家は、一間の玄関があり、その奥の通路にそって、狭い台所が存在していた。

京都の町屋の表現に、「鰻の寝床のような」はこの間口の広さからきている。
町屋は隣の家とは壁一枚で仕切られており、台所には、隣の家と壁面にそって竈がある。竈は必ず火を燃やし調理をする。石綿の煙突ができたのは、明治時代からである。
江戸の町も大火の話が尽きないように、京都の町も大火の歴史が多く残されている。
京都の町の辻辻にたてられている碑や案内板には寺院の跡地が多い。社寺仏閣の跡地が転々と移っているのは、大火の後、時の所司代から地割りによって移動させられている。
町屋の火災は周辺住民を巻き込み、大火になる危険性が高く、時の所司代から厳しく、火の取り扱いを注意させられている。
町屋の台所には今も、火の神様、愛宕山や五大力さんのお札が祀られている。
京都は、江戸時代には町内ごとに、火消しの桶と井戸が設置され、町内単位で火災を守る指導があり、今でも町内の消防団組織がそのまま引き継いでいる。
狭い台所では火力を大きくすることは、大変危険で、薪等や炭火でも飛び火などの危険性が強い。その上に京都の町屋では薪も炭も購入しており、「火を粗末に扱うことをしない」古くから、口うるさく、躾として教えられていた。
調理場は、食べ物を粗末に扱わないのと同じように、できるだけ火力を押さえて調理することが、京言葉では、「もったいない」「始末せい」「無駄をするな」として教えられていた。
京料理の基本、昆布出汁を引く作業や薄口の味覚を整え時間を掛けて調理する方法もこの町衆の生活習慣、「竈の残り火、余熱を最後まで利用し、とろ火で出汁を引く」からきている。
薄口でゆっくりと時間を掛けて低温で煮付ける方法が京料理、日本料理の基本になったのである。京料理は日本古来の醤油、味噌、みりん、酢、塩、砂糖を少量に計り分け、加熱の時間に合わせ、最適な温度帯を選択し、使い分けた料理である。京都の料理人は家庭や社寺仏閣に出向いて、調理することが多く、その技法が京のおばんざいとして各家庭に引き継がれている。京の「おばんざい」は代表的な家庭料理である。
火を大切にし、慎重に扱う伝統は、今も市民意識に残されており、例えば市民の失火率はきわめて低く、京都1.9に対して大阪は5.4神戸は4.4(年間人口1万人あたりの失火件数)である。京都市の失火率は大阪市の約1/3、神戸市の1/2以下である。日本の政令都市では京都は際だって低い出火率である。

■早くて旨いを好む大阪人
大阪市民は、京都と違い、商人の町として江戸時代から栄えた。浪速の町を切り開いたのは時の豪農、豪商であり、そのまま町名して今も残されている。
浪速の商売人は、侍や公家の威厳がそれほど通用していなかった光景が屏風絵には描かれている。例えば、大阪冬の陣が描かれている屏風絵では、刀や槍をひっさげて帰還する侍姿のすぐ横で酒や食べ物を売る屋台があり、戦の屏風絵にしては緊迫感の見られない町人の姿は、今の大阪人と遜色がない。
淀川の河川敷では、たびたび、たき火をしている浮浪者が見られる、小さな公園でも花見の頃はバーベキューを楽しむ家族の光景が各地にあり、屋外で食べることを好み、人目を気にせずに食べている。他人よりも安く、旨い物にありつけると誇らしく、見せびらかして喜ぶ姿は、京都人や神戸人、関東とは全く違う。
京都の加茂川では、浮浪者のたき火は禁止されている。桜の季節でもバーベキューの禁止地域が設定してある。

大阪人の気の短さは調理にも見られ、仕上がりの早さや目の前で仕上がる調理を好み、直火の調理、たこ焼き、お好み焼き、焼き肉などを好み、フライパンを利用する料理が多く、カウンターや立ち食い、今風のファーストフードの食べ方や中食は江戸時代から盛んに経営されてきた。丁稚の立ち食いする光景は浪速の風物詩のなかに数多く描かれている。
一見すると早食いを競っているようにも見える。
大阪には大きなターミナルには必ず立ち飲み屋があるが、京都市内ではほとんど見られない。大阪では、焼き物は食べ物を焼く意味に使い、京都では瀬戸物、陶器を指す。
町人と武士が同じ桟敷で食べている姿が風物詩のなかに描かれており、食べることに位や威風が見られない。何よりも食べ物への執着心が強く、珍しい物、初めての食べ物には好奇心も旺盛である。大盛り、豪勢に大きく飾り付け盛りつけることを好み、京都は小さな器をいくつも重ねるように使い分ける。
肉類も江戸時代に「ももんじ屋」として販売されていた。
江戸の町人と同じように、早食いである。

食べることは満腹感を味わうこととする傾向が強い。サラリーマンはうどんや中華そばとトンカツ丼物等がセットになっている食事を好み、炭水化物が多い定食を好む。
昼夜を問わず、テーブルに着くと間髪を入れずに発注し、注文と同時にテーブルにオーダーが並べられる店を好む。待つことができない、待つことを極端に嫌うDMAをひきづっており、割り込みを得意とし、仲間同士で自慢することもある。
味覚は甘いか辛いか、はっきりとした味覚を好み、食べ方など形にはめられることを嫌い、食べ物や食べ方にも落語や漫才的言葉遊びを好む。

■神戸の西洋文化と食のつながり
神戸市民、京都、大阪と違い新しい都市である。明治の開港と同時に都市として発展した貿易都市であり、多くの外国人が持ち込んだ食材や調理方法と食器類、従来の食材と外来の食材が混ざり合い、椅子とテーブルで食事をする習慣が早くから家庭にも取り入れている。
和風の小皿ではなく、大きなお皿、ディッシュで飾る料理、西洋料理が早くから定着していく。和食器から洋食器、箸からナイフとフォーク、スプーンが早くから家庭に取り入れられた。
京都や大阪、日本の街の風景とは違った、異邦人が作り出した新しい町並みが生まれ、西欧人、東洋人と等間隔のなかで生活が始まり、コーヒーに紅茶、バター、チーズの香りやスパイスの香りに馴染みながら、西洋式近代化の食事としてパン食を受け入れてきた。
生活のスタイルも食生活と同様に和服から洋服に下駄から靴に早くから履き替えている。
パン焼きの工房は朝早くから、バターの香りが漂い、早朝からコーヒー店がオープンしていたのは神戸からである。西洋人がゆっくりと時間を掛けて楽しむディナーの習慣がそのまま神戸の人たちの食生活として影響を受け定着している。

神戸港は、外用航路に欠かせない水と食糧の積み出し港として栄えており、市民は西洋文化のなかに浸り、食生活も西洋化の影響を強く受けている。
神戸には早朝からオープンしている喫茶店が、海岸通りや乙仲通りには多く存在していた。
三菱重工や川崎重工、日立造船の重工業が並ぶ海岸からターミナルの近くには3交代の職工さんの朝帰りを待ち受ける多くの喫茶店が軒を連ねていた。同じ時期に大阪のターミナルに並ぶ朝の喫茶店の多くは、ガチャガチャと立ち飲みに近く、神戸の職工さんは、ゆっくりと朝刊を数冊も読み終えてから帰路につく人が多く見られた。



食文化と文化密度の関係

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

食生活の違いと産業構造

京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係