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火と文化 |
◆世界の加熱方法~間接加熱 |
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■間接加熱の種類と地域の食文化
間接加熱には、金属製の鍋や釜、鉄板、陶磁器、煉瓦、石、土等を利用している。 加熱の方法は、食べる食物の違いから地域性が見られ、加熱するとき食材全体に安定し熱伝導させる方法に利用している。水や油、油脂、乳製品が持つ沸点の違いから、調理の道具や形状の違いがある。 日本では魚の料理が多く、生食、焼く、煮る、薫製、発酵など多種多様である。魚を焼いたり、煮ることから収穫される魚の大きさに合った、調理道具が作られている。 東北の海岸地帯の囲炉裏にかけられる鉄鍋は比較的大きく、鮭を大きく切り、野菜をざっくりと切り大きく切って入れ、数食続いて食べられている。 内陸部の鍋は幾分小さい鉄鍋が多く、数種類の鍋を料理に合わせて利用している。 家庭用のコンロ、炭火で焼く、焼き鳥用の炉、ウナギを焼く独特の炉が作られ、大きさは魚の大きさと整合しており、構造は火加減から工夫されている。 煮魚に利用する鍋とその中に入れるなか蓋も日本独特の調理道具が多い。 同じ魚を煮るにも、京都と大阪、東京には違いがある。 違いは漁獲される魚種の違いにあり、魚種の違いから煮汁の入れる調味料の割合に違いがある。醤油、塩、酒、みりん、砂糖、酢の配合とその量に違いがあり、煮汁を沸騰させ、その中に入れて煮るにも、とろ火で煮る地域、比較的強い火で煮る地域などの違いがある。 大阪は甘口、京都は薄口、東京は辛い醤油の味を好む。 味覚の好き嫌いは、親の代から引き継いでおり、長年の味覚の馴染みから作られることが多く、関東や東北の人には、江戸時代から京都の薄口の味は馴染めなかったようである。 馬琴の紀行録には、京都の味に馴染めずに高いばかりで美味いものなしとこき下ろして書いている。 反対に京都人は、関東地域の真っ黒になった醤油出汁の色を見て、味音痴の田舎物の調理と冷ややかに見ている。 味覚の良し悪しの判断は長年続いた家庭の味がベースになっている。 味覚の判断も、地域によって違いがあり、巨人、阪神のように、好みの違いは、譲れない食習慣の一つでもある。 人々が好む味覚、求められる味覚は、常に一定ではなく、体調、年齢、職業、教育によって変化し、意識すれば、味覚を選択する範囲は、広がり、繊細な味覚も判断することができる。 ■雑穀の調理 世界には、雑穀の調理は多く、安定した栽培と収穫量の確保から、雑穀類が食料の中心になっている。 雑穀の加工では、粉体に水を加えて、焼く地域、粉体から麺類を作り、スープに入れる地域、粉体を板状に伸ばし、餃子に加工したり、粒子をそのまま炊く地域、油で揚げる地域様々である。加工の違いは、炉や竈の構造が変わり、利用する道具の大きさや構造が変わり、調理の違いから食器や食べる作法、器から口に運ぶ、箸や箸の素材、スプーン、フォークの構造にも違いが見られる。 各地の料理は、長年の体験によって作られているが、美味しく食べるための加熱方法は、生物学的であり、物理学的な面があり、美味しく仕上げる要素は、科学的に説明ができ、調理の味覚とバランスには、一定の理論的、科学的な整合性がある。 米や麦は栽培から収穫の効率と摂取量から見た吸収とそのエネルギー換算では一番効率の良い食材の一つである。野菜は必要であるがエネルギー換算では米寄りも低く、畜産は餌の栽培と飼育期間、飼育重量から精肉になる割合及び摂取のエネルギーを換算するとエネルギーの転換率は大変低い。 人類が食べるために積み重ねてきた経験や知恵は、今では習慣的に見られがちであるが、実際は科学的な要素が積み上げられている。 美味しく調理することは、大変科学的である。 人間が美味しいと感じる感性は、科学的要素が伴っており、体験的な科学の基礎になっている。 どのような科学も基礎があるように、味覚にも基礎がある。 味覚の基礎は、それぞれの食材の素材の味覚を知り、形状や外観から味覚が判断でき、同じ素材でも生育した環境によって味覚の違いがある。 素材の味覚が優れていることは組成の栄養成分が優れた構造にある。 素材が持つ遺伝子から最適な栄養成分が構成されたときは生育環境に整合し、素材の優れた品質として美しい形状や色調を作り出している。美しさや色調を判断する感性は、豊かな科学性や科学的判断力を養う要素になる。 シンプルな素材の味覚が判断できることは、豊かな感性が育まれ、豊かな感性によって、科学的、分析的能力が自然に高まることを示している。 毎日食べている米粒にも品種によって形状が変わり、大きさや光沢に違いがある。 美味しいお米には外観で判断できる優れた形状がある。 美味しい食べ物は、全て美しい形状によって作られている。 特に京料理の特長は、素材の基礎的な味覚を引き立て、素材の形状を如何に美しく整えるか、素材の持つ色を如何に残して加熱するかに重きがおかれており、水や薄い出汁によって素材の持つ基本的な味を生かす調理である。 日本料理は、水や出汁を加熱し熱伝導を利用し調理していることが多い。 日本は、良水が簡易に手に入り、常圧で沸点が100℃、この温度は、多くの食中毒菌を除菌でき、比熱も大きく、熱伝導性にも優れ、食材に最適な熱吸収ができる方法である。 調理では、水の量と熱量のバランスから、水加減と火加減によって味覚を整えている。 水煮は、日本料理に多く見られ、素材に水だけを入れ、加熱し素材だけの味覚を知る調理の方法である。 ■炊く、煮る水を入れ調理する言葉に、炊くと煮るの言葉に違いがある。 ご飯を炊く、この炊くの言葉の定義は、曖昧であるが、日本では"ご飯を炊く"、の意味は、米に水を加え、水が沸騰し米に水分が完全に浸透した状態とされているが、お粥は水分が残っているが炊くと表現し、煮るとは云わない。 五穀を釜に入れる場合は炊くと云う場合が多い。 古い京都の竈を見ると、神に捧げる目的で、火を入れない竈があり、その次ぎに五穀を炊く竈が上座、鍋をのせる、位置は下座になっている。 米は神聖な食べ物として上座で炊き、副食の菜は下座におかれている。 米を炊いた上座の残り火で、下座で菜を煮られている。 煮るの表現は、鍋に魚や野菜と水や出汁を入れ、仕上がり状態では水分や出汁が残っている状態を煮るとしている。 鍋のなかで具材が出汁のなかで混ざっている状態を煮ると表現している。 煮るのことばに、「煮ても焼いても食えない」、「煮て喰おうが焼いて喰おうが、おれの勝って」など、煮る言葉はあまり上品な表現に使われていない。 他に機関車の釜や風呂釜は、焚くと表現する。 石川五右衛門の最後の釜湯でも、焚くであり、煮るではない。不思議なことに煮え湯を飲ますの表現は、鍋の湯ではなく、釜の湯をさしている。 陶器を焼く窯は焚くとは云わない、火を入れるが一般的である。 豆は煮付ける、炊くとは、云わない、豆は水分が豆に浸透している状態に仕上げるが表現では煮るである。出来上がりの水分量に関係なく煮る料理としている。お米と一緒に入れると炊くと言う。 語源の意味から考えると、炊くとは、釜に水を入れ、火を入れることに多く利用され、煮るとは、鍋に食物と水を加えて、火を加える調理にあてはまる言葉のようである。 鍋に水だけ入れて、火を加えるときは、水を煮るとは云わず、沸かすである。 鍋の"な"は、菜から来ているとする、書もあり、菜を煮ることから鍋と表現されたされたとされている。 炊くも、煮るも、水の沸騰時点から火加減によって調理し、温度をコントロールし味覚を整えている。 他に竈で調理することを炊く、囲炉裏で調理することを煮るとしている書もあるが、西日本では、年中囲炉裏に火を入れることは少なく、京都は、竈に鍋を掛けて調理されており、釜では、炊く、鍋では煮るとみるのが妥当とみられる。 炊く時は、火を落としてから、予熱を利用する調理に多く、釜の素材は厚みのある素材が多い。鍋は日本では比較的薄い金属製の素材を利用している、そのために予熱は長く維持できない。 日本料理とは、一般的に京都から発達した京料理を指すことが多い。京都の水は、水質にミネラル分が少なく、一年間を通して水質のミネラルバランスが安定していることが素材の味覚を引き出す調理に好都合となっている。 日本料理の原点、京料理は、素材が持つ味覚を引き出す手法が調理の基礎になっており、世界に類を見ない素材の淡泊な味覚を尊ぶ料理である。 水から低温で出汁を取り、出汁の味覚を整え、沸騰点よりも低く、常温よりも少し高い温度で、長時間かけて、出汁を作り上げる技法は、世界で稀な方法である。 野菜を煮る方法も沸騰させずに、とろ火で時間をかけて、形を崩さずに、素材のなかに出汁を含ませる技法は、独特の衛生管理と安全性を作り出している。 京料理の食材の多くが海産物の干物や乾物、雑穀と野菜である。 干物や乾物は調理の始めに水分を含ませ、それからゆっくりと、とろ火で加熱し、時間を掛けて軟らかく仕上げている。竈の残り火を無駄にしない料理方法である。 京都は煮物に最適な軟水の地下水が豊富に得られ、その結果、薄口の味覚を作りだす基礎になっている。 京料理の基礎となる薄口の味覚は、京都の都市が作られた歴史的背景にあり、土地の区分、地割りの構造、町屋の構造からも必然性が見られる。京都は江戸時代の街作りは、町民の1軒分が、間口2間半(4.5m)~3間(5.4m)で区割りされている。1軒1軒が奥に細長い構造であり、その狭い間口に玄関となる土間があり、店の間、台所と奥の間の間に走り(流し)、竈、井戸と水屋がある。家屋の中では台所の幅に限界があり、その中に竈を作り、排煙の構造を作り出している。 大きな竈をいくつも持つ家は限られている。 燃料は割木や柴と炭であり、炭は高い燃料の一つである。当時は煙突はなく、子屋根の排煙場所が作られており、家庭の中に石綿の煙突が付けられたのは明治になってからである。 京都の庶民の歴史は、町屋の文化であり、密集した家屋が並び、火の元を大きくして、火力上げることは、常に火災の危険であり、台所の火の管理は、慎重でなければ、生活できない町屋の生活が想像できる。 その結果、火力の小さな火元から調理を作り、火力を大きく上げない食文化が経験的に作られている。 竈に火を入れるにも、始めに五穀を炊く火を入れ、その火の火力が強くなると次ぎに鍋の竈に火を移し、とろ火を利用し、菜や汁物を煮て調理している。 とろ火でゆっくりと煮付けることが、野菜などの煮くずれしない煮方の調理を作る要素になり、シンプルな素材の味覚を引き出す料理になっている。 軟水の水の質と、火力の弱いとろ火の火加減が、日本料理の基礎になる薄口の味が作られている。 釜や鍋の構造には、その地域の調理の方法によって違った構造をつくり出しており、それぞれ加熱の考えに意味がある。 利用されている食材とその種類によって料理の方法が変わり、鍋の構造に違いがある。 日本料理の鍋には、多くの種類があるが、煮付ける鍋は、中華の鍋よりも深く、西洋料理に使う胴筒よりも浅い、鍋の深さや大きさは、水が沸騰したときに膨張し溢れない高さと熱の温度分布が全体に安定する熱輻射の効率から構造が作られている。調理の量に応じて、大中小の大きさ、深さ、素材の厚さを分けて選択している。 低温で加熱するときには、熱放射を少なくし、安定し低温が維持できる素材に厚さが作られ、熱が食材の内部に浸透し、外部に熱輻射を少なくした構造から素材の厚が工夫されている。 高温で調理する鍋は、具材が温度によってこげないように、鍋の口を大きく広げ、熱放射率を高めた構造になっている。中華鍋の多くは、熱放射を目的に大きく口が広がった構造である。ゲートルでかき回しやすい構造でもある。 天ぷら鍋も比較的この構造に近い。 釜を利用する調理は、雑穀などの粒子の水分率が少なく硬い食物が炊かれる場合が多く、水分の浸透性から、高温になった水分や蒸気が粒子に浸透しやすくするために、熱放射率を低くし、半球形に近く、予熱が大きくなる構造で作られている。材質も肉厚のある素材を利用する。鉄、陶磁器などである。 |