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環境問題と農作物

◆オーガニック農産物が資本主義社会の壁に穴を空けるのか!!

1.EUでは農産物の高品質とは、オーガニックであることが前提で評価する。

*ロンドンオリンピックの選手村で採択された農産物の品質基準は、オーガニックで   あることが最低基準として選択された。
 EUの量販店では、オーガニック農産物のコーナーが普通に存在し、そのスペースは、日本の量販店と比べものにならないほど広い。
郊外型のオーガニックの農産物、日用品を販売する店舗も、数多く存在している。
EUでは、オーガニック商品が市民生活に密着していることを示している。
日本ではどうか、量販店で、オーガニックのコーナーを設けている店舗は殆ど見られない。専門店も、極僅かである。
日本の量販店において、オーガニックの農産物が見られないことは、オーガニックの栽培や飼育をされている現場が極めて少なく、オーガニック商品が市民生活と密着していない。
オーガニックとは、無農薬、化学肥料に依存しない農産物の生産だけを指していない。
農産物の生産や飼育は、必ず、何らかの形で、その地域への環境負荷を与えており、その負荷を最低限度に押さえ、全ての生命体と共生し共存できるように、自然環境を配慮し持続する。自然環境を保持する理念を、モラルとして具現化していくのがオーガニックの栽培や飼育である。その結果として、高品質の農産物が育成できる。
農産物の栽培は、効率だけを念頭に置くと、除草剤、忌避剤を定期的散布し、病気に対する薬剤を散布し、栽培すると作業は簡便であり、労力は1/10以下に軽減でき、見かけの収量も格段に増加する。
オーガニックの栽培では、除草剤、忌避剤、薬剤は使用しない。
忌避剤の変わりに忌避効果のある植物との混植などで、虫の被害を最小限度に押さえ、虫からの被害を最小限に押さえる手法を日々検討し模索する。
虫の繁殖期から播種時期を遅らせたり、大地の風上に虫の嫌がる樹木を植え、樹木の忌避効果を考慮し栽培していく、自ずと面積当たりの収量は減少する。
土壌環境を健全にすることで耐病性を強化する。
既存の農業は、JA組織が提示するマニュアルに沿って、除草剤を散布し、忌避剤を空中散布する栽培が多いが、オーガニックの栽培は、個々の豊富な経験と知識、そして日々の観察から次への対処を考慮し、栽培方法を計画する。
個々の生産者のクリエイティブな知識の積み上げが必要になる。
オーガニックの栽培や飼育は、生産者の知的能力に依存し、生産量は、自然とのバランス、気候に影響されながら、最善を選択する。収穫量は常に一定ではない。
地球温暖化の影響は、過去の暦からは予測できない変動が次々と現れている。その対処方法も知的能力によってカバーしていく。
オーガニックの生産は、ハードルは高いが、日本では、公的助成の対象にはなっていない。
EUにオーガニックの生産者が多いことは、環境へのモラルを配慮している生産者の比率が多く見られることを物語っている。
同じことが、EUの量販店などの経営者が、経営理念として、自然環境への配慮に重きを置いている姿勢がオーガニックを取り扱う比率に表れている。
 日本の消費者が地球環境への配慮が少ないのではない、市民意識は、むしろ多くの賛同が得られる。市民意識は、成熟した社会的感性を有している。
日本人の社会的モラルは、諸外国と比較して、低いのではなく、整然と規則に遵守し、世界でも希な姿勢が見られ、日本人の誇りであるはずである。
では、何故、日本ではオーガニックの生産者が増えていないのか、その原因の一つは、青果物流通の中で一番多く携わっている量販店の販売姿勢にあり、環境への配慮が欠ている。
量販店の安売りや売り出しの呼びかけは、オーガニックを販売する姿勢ではなく、戦後の闇市やバッタ商品を売り抜ける販売方法と変わっていない。
売り場の担当者は、早い者勝ちや、いいとこ取りやと囃子かける。
山と積まれた青果物に群がる消費者は、山の中から青果物をより分け、かき回され、その結果、残された青果物は、痛み、無惨な姿をさらけ出している。
かき混ぜられ、痛んだ青果物は、最後には、生ゴミ扱いになる。
青果物は、均一には生産できない。
形状や重さは、千差万別が普通で、味覚も自ずと異なる。類似はしているが、同じ形状や色調にはならない。
青果物は、工業生産された製品ではなく、自然の当たり前が、何故か、当たり前とは取られないことが多く、極端な均一性を追求される。
自然の生産物は、不均一が普通とする認識が消費者、流通業者、加工業者に欠けている。
そのために、流通選果される前の段階から、厳しい選択を求められ、物流に至までに、厳しい選別の作業が始まる。既に生産地で選別されているにもかかわらず、競り市場で選別価格が決定する。売り場では、消費者によってかき混ぜられ、選別される。
後に残された商品は、惨めなスタイルをさらけ出す。
残された商品は一層商品価値を失い、ゴミ扱いになる。
このゴミ扱いの商品は、生産者の負担となり、取引の価格として、はね返ってくる。
オーガニックの生産者は、このような販売姿勢の量販店とは取引したくない。
 EUの量販店では、青果物の多くは、品目別に山積みが多く、個別梱包されている青果物は少ない、消費者は、必要量を上から順番に袋にいれ、消費者自身で計量し、レジへと足を運ぶ、青果物の山の下から、いいとこ取りに選別することは、消費者モラルとして顰蹙を買い、白い目で追われるのが普通である。
 割り込み乗車が白い目で見られるのと変わらない。
同じ圃場で栽培されたトマトでも、形状や色調が異なるのと同じように、味覚がことなるのは、普通である。
形状や色調の異なるトマトを手にし、それぞれの異なる味覚を楽しむ味わい方もある。
自然の青果物がどれも味覚が均一であることがむしろ不自然とする、消費者の意識が必要である。青果物の自然性、個々の味覚の違いを楽しむ、認識が少なすぎる。
人に、それぞれの個性があるように、自然の物には、個別の個性があり、味覚として現れる。
 2016年10月15日、京都へ新たに、フォーシーズンズホテルが開設された。レストランの料理長が、京丹後市のオーガニック農場へ視察に見えた。
大きさ、形状、色調がバラバラのトマトを竹篭に入れ、サンプル提示したとき、彼は、このスタイルこそがオーガニックと感激し、次々とトマトをほおばっていた。
 コンチネンタルスタイルの朝食では、このように演出できる青果物を捜していると微笑んでいた。
 EUでは、当たり前が日本では当たり前にならないことが、日本の青果物流通の壁でもある。

 オーガニックの農場に携わっていると突然、若い人たちが尋ねてくることがある。
多くは、一度、大企業に就職され、その現場から離職された方々である。
オーガニックの農業の場で、無から、取り組みたいとする姿勢が真剣である。
彼らの目は、うつろではなく、真剣である。
何よりも、非効率な仕事であることを認識し、トライしようとする姿勢が素晴らしい。
 経済的という言葉に飽き飽きし、あえて非効率にトライしようとしている。
農業の現場では、草取りは、誰でもいやがる仕事である。
炎天下の草取りは、特に厳しい。
汗が身体全体から湧き出るように噴いてくる。
あえて、いやがられる草取りを頼むと全く動じることなく、コツコツと作業を進めている。
 動じず、無心であり、吹き出る汗を楽しんでいるようにも見える。
初夏のヒバリの鳴き声は、青空に透き通って広がる、雉の鳴き声は、彼らと共鳴しているように、山に木魂する。
農業は業であり、修行の行ではない。
始めて農業に取り組むと直ぐには、業として採算は取れない。修行の行の積み重ねで、始めて業に近づことができ、業として確立できる先が見え始める。それまでの期間は、比較的長い。1年や2年の周期では、作物の全体が見えてこない。
自然との共生と調和の中で、青果物を育て、家畜を飼育していく。
農学の文典よりも生物学や動物学の方が役立つことも多い。
土壌微生物の学術的論文は少なく、科学的に解明されていない分野が多い、その中で、農産物を自然と共生させ、調和を求め、作物の育成バランスを取り、天性の生命学的資質を見失うことなく、具現化することが生涯のテーマになるはずである。
農業は、自然と葛藤するなかで業として効率を求める必要がある。
業である限り、効率は求めなければ、持続できない。その過程では、多くの行を積み上げる覚悟が必要である。
資本主義経済のスピード、効率とは逸脱していることを認識し、あえてトライしたいとする若者が一人や二人ではない。その多くはオーガニックの農業を志す。
 EUでも、オーガニックへの挑戦の多くは若い人たちである。  
彼らの求める流通は、消費者や消費の現場への直接流通である。
 オーガニックの栽培は、日本の中山間地域が最適な環境である。
広い平野、広い大地は一見すると効率的であるが、自然への影響をもろに受ける。
水稲だけのオーガニック等、単一品目だけの栽培でオーガニックを推進するのは、販路において、大きなハンディが生じやすい。自然災害の被害を受けると、収益への道が一機に途絶えることになる。単一品目の栽培では、地域自然の全体像が見えにくい。
 10月9日、10日は全国的に秋祭りが各地で見られた。
昔は、稲刈りが終わり、感謝を込めた神社の祭りである。
日本には、鎮守の森、神社が、村々に存在していた。
今は、すっかり朽ちてしまった鎮守の森もある。
過疎と離村で維持できなくなっている。
現在の農業と類似している。
日本の鎮守の森、神社のシンボルは、自然崇拝であり、自然の全ての生命を神として祀っている。
先進国で自然崇拝を神として祀っているのは、日本だけであるが、古代からの伝統は、オーガニックの思考と同じである。
農業地域の衰退は、自然崇拝の姿勢の歪みであり、自然崇拝を偽った歪みが原因として見て取れる。荒れ果てた山林、荒れ果てた河川、放置された休耕田、これらは、全て経済の歪みでもある。
 荒れ果てた休耕田を全く農業経験のない若者が、トラックターを入れる姿は、次への日本の誇りとして期待できる。

 2012年、ロンドンオリンピックが開催された。オリンピックには、必ず選手村が存在し、開催前、最低1週間から、開催中の2週間、選手の多くが選手村で生活する。
世界の選手が日々の食事に必要な食材は、生鮮の野菜、果実、魚類、家禽類の肉、鶏卵、家畜類の肉、乳製品及びそれらの加工食品、調味料、香辛料など、膨大な量であり、品目である。
これらの食材の選択基準は、高品質が求められるが、高品質の前提条件は、生鮮魚類を除いて、全てオーガニックである。
2020年8月に東京オリンピックが開催される。
選手村は、必ず運営され、選手村には、食堂が必需であり、食材は高品質が求められる。
その時の必要量は、ざっと計算すると50万食に近い。
現在のコンビニエンスや一般的な社員食堂の給食事業の業者から、現在使用されている食材をそのまま対応することは、オリンピック委員会が納得しないと思われる。
オーガニックの生鮮食品を日本の国内で調達することは、殆ど困難である。
開催月は8月であり、オーガニック野菜の栽培が、年間を通して一番困難な時宜でもある。
では何故、EUでは、高品質とは、オーガニックとしているのか、何故、高品質とは、オーガニックを指すのか、
 日本の国民が見直さなければならない課題であり、日本の生産者が農業生方法を根底から見直しが求められている課題である。農産物を取り扱う全ての業界、そして行政が日本の農産物の生産内容を根底から、見直す、切っ掛けになれば、東京オリンピックを開催する価値が増幅する。

 1906年、ドイツの科学者フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュによって、鉄を触媒として水素と窒素から、ハーバー・ボッシュ法により、アンモニアの製造に成功し、その後、窒素肥料が化学合成され大量に製造された。
化学肥料の成功は、従来の農業の生産量から一機に拡大し、EUの穀物や馬鈴薯の生産量に大きく寄与した。
その後10年が過ぎ、全EUでは、穀物、馬鈴薯の生産量が大幅に減少したが、その原因が解らず、農学者ではなく、人智学者のルドルフ・シュタイナーの門を生産者が叩き、問題解決のヒントを求めた。
この講義が、世界のバイオダイナミックファームの始まりである。
 1924年、当時ではドイツ人(現オーストリア人)のルドルフ・シュタイナーのバイオダイナミックファームとしてこの講座が残されている。
当時、EUの多くの国で穀物や馬齢者の生産に窒素肥料が使用され、生産量は大きく増加した。しかし、連作による影響は早く、一転し連作障害が各地で広がりEUの多くの地域で食糧危機に至った。
シュタイナーは農学者ではない。
穀類、馬鈴薯の減収の障害を連作障害として、直接の原因を指摘しているのではなく、大地に過度な生産量を求めた栽培方法が継続され、農業生産の不自然性を指摘し、窒素肥料を大量に入れ生産することで、大地の生命体のバランスが壊れ、自然性を失ったことが原因ではないかと指摘している。
農業は、自然の営みの中にあり、自然の営みの連続性を持続することで維持でき、大地と太陽、そして月、暦による、自然生物との関係、月の満ち引きと大地の水位の関係、大地の水位の位置と昆虫類の生息位置の関係を説明し、農業は、自然の全ての生命体との共生によって維持できるのではないかと生産者に説いている。
 EUのオーガニックの組織の多くは、シュタイナーの講義が基礎になり、現在も継続し維持されている。EUの中でも全農地の中で有機農業の面積が占める比率ではオーストリアが多く、その要因はシュタイナーがオーストリア人であったことに由来している。
 世界的に見ると農地の有機農業が占める割合はキューバが圧倒的に多く、その原因は、米国から化学肥料、農薬の輸出が途絶えたことが幸いしている。
 日本は戦後の食糧難の時代から脱皮するために、農業生産を量の確保を目的に、栽培方法、品種の改良を促進してきた。増産を目的に化学肥料、農薬は、何ら抵抗なく、現在まで継続し、使用されてきた。
昭和50年代には、既に日本の農産物は畜産物を除いて多くは、生産過剰の状態にあった。
農業生産を量的追求から質的転換への転機時期を見失ったままで、現在に至っている。

2.何故、日本の農業は衰退の一途を辿るのか
*農業の衰退は、生産者の高齢化と栽培面積が小規模であるだけではない
 日本の生産農家数は、最盛期は600万所帯とされていたが、最近は半分以下に減少している。昔から日本の農業の実体は、大変複雑で、生産農家として、自営できている実体数はよく掴めていない。多くは副業や兼業農家によって継続されてきた。
地場産業の繊維織物や和紙、林業、水産業などと兼業し、持続されてきた歴史は長い。
昭和47年、田中内閣の時代に日本列島改造論が閣議決定され、日本各地の土木建築業が活発になると、出稼ぎから、地元で派生した土木建築に従事し、農業と土木建築業務を兼業するする所帯が急増した。
この時代に、為替制度が固定価格から変動相場制になり、対ドルレートが急速に円高になり、手工業の製造が、日本から東アジアの国々へとシフトした。
兼業として維持されていた手工業が減少し、土木建築業が地域を支え始めた。
JAの会員であり、土木建築業の経営者が同時に、JA組合長を兼務したり、地域の村会議員、村長、町会議員、町長を兼務される例が多く見られ、農村地域に自民党の政治基盤を強固に構築していった。JAの中央会は、国会議員秘書として職員を派遣することはごく普通に行われていた。
農業生産のなかでも、水稲の比率の高い地域ほど、この傾向が強くなっていった。
西南暖地、都市近郊等、年間を通して農産物を生産している地域では、水稲地域と異なり、一定の採算性が高く、年間の農業収入が安定している。
水稲地域の多くは、年一作で、就農期間が短く、年間の農業収入も少ない。
当時の米価は、60kg1俵で、約22,000円前後で買い上げられ、他の食料品の価格から見ると高い価格が維持されていた。
米は、JA組織が買い集め、食糧庁の管轄下で流通が行われてきた。
生産量に対して、安定した価格操作が政治的に長年継続されてきた。
元来、農業は、その地域の環境から、環境と融合し、独創性を育成する業務である。
国家予算で道路建設を進め、土木作業と水稲による経済の安定は、次代を創造する産業の育成には結びつかず、クリエイティブに創造する農業とは、懸け離れていった。
水稲地域の農業が旧態然とし、改革していない原因は、農業の次への時代へ、人材育成する姿勢が見られなかったことにある。
水稲地域だけではなく、バブル経済前に、人材育成にかかる費用を惜しみ、不動産や株取引に転換した中小企業が後を絶たなかった地域が、各地に見られる。日本の中小企業のメッカであった大阪、兵庫、愛知の工業生産高の減少は、中山間地域の休耕田と同じように、工業地域に空地やマンションが目立つ。
TPPへの参入は、工業製品の輸出促進が目的であるらしいが、日本から新たな製品が次々と生まれる環境ではなく、貿易収支の改善には結びつかない。
年間の為替変動の大きさは、輸出を主とする産業では、折り込み済みでなければ、維持できない。現在の相場から見ると安全率は、対ドルレート90円に設定し、最悪の場合に対処する。
最近の、対ドルレートは、90円~120円との範囲にあり、この変動相場に対処せざるを得ない。変動相場へのリスクを軽くするために、輸出額の大きい企業ほど海外に製造拠点を移している。現在の日本の社会環境では、新たな起業による輸出などは、殆ど期待できない。産業界全体に人材育成する姿勢が欠けている。
今後の日本は、輸出額が減少しても増加は期待できない。
貿易収支は、石油価格に依存し、赤字になりやすく、為替バランスは、経常収支でカバーしている。
鉱工業等の先進的産業においても、次への開発が極端に少なくなっているが、水稲地域の生産者の感覚は、遙かに、大きくずれており、江戸時代より劣っている。
 日本の消費者が農業に理解が無いのではなく、農業者が消費者、消費の現状を理解していないことが目立ちすぎる。
消費者の多くは、サラリーマンであり、何らかの勤務者である。
水稲1作の年間栽培期間は、精々150日、実働の就農日数は50日前後、年間50日の労働で1年間の生活費が得られる仕事は、消費者の近くでは見あたらない。
消費者の多くは現在の農業の実体を知っている。
サラリーマンの中には、ブラック企業に就職せざるをえない場合もある。殆どが、休日も無いほど深夜勤務も加算され、やっと生活できる賃金を受け取っている場合もある。
 昔の農業は、機械も無く、農薬、化学肥料は存在していない、大変な重労働であった。農業の最盛期は春から秋の暑い時期が多く、水田の中での草取りは、体力的に厳しい作業が連続する。
現在の水稲とは全く異なる。
その結果は、どうなったのか、昔遊んだ河川や山裾には殆ど小動物が見られない、環境破壊が著しく進んでいる。生態系の破壊は、農業への疑問となって、跳ね返っている。
「果たして安全なのか?」
農産物が昔のような味覚ではなく、工業的な味覚や臭いのする野菜も存在する。
他方、植物工場による野菜の製造などのニュースが見られると、農産物は工業製品ではないと、反発が若い人たちの心境として見えかくれする。
勤務している工場では、毎日、100%の完璧な製品を求められ、厳しい完全主義が日々の業務である。その反動が根強く、農産物は自然であって欲しいする願望がある。
自然の大地で育つ農産物であって欲しいとする意識が根強く、最近の若い人たちのオーガニックへの憧れとして、存在している。
農業生産者はその要望に応えようとしているのであろうか!!
大きな疑問である。
農業政策は、JA組織をはじめ、抜本的に見直さなければ、国民の理解は得られない。
現在生産されている農産物が、果たして、安心し食べれる農産物であるのか?
量的政策から高品質農産物への転換は欠かせない課題である。
税金は、サラリーマンからは天引きであり、待ったなしである。
税金から予算化される農水の助成金は気楽な農民へ還流している。
 助成制度は、利権の構造であり、官僚の存在と存続を示すために保有され、農民への餌である。日本の国家予算は、官僚の存在と存続を示すために爆発的に増加し、膨大な国債発行へと誘導された。政治と行政の目線は国民ではなく、利権の存続としか見えてこない。
 日本最大の農業組織、JAは有機農業を推進していない。これまでは排除してきた。
JA組織は、生産者の知的レベルを向上させ、個々の生産レベル、技術力を高めることを良しとはしていない。マニアル通りの生産に順応する生産者をグループ化することで、組織を持続させてきた。生産指導は、出来るだけ均一な青果物を生産する指導が、主な目的である。
市場流通では、競売によって、価格が決定する。競売に参加される仲卸の人たちの販路の多くは、量販店であり、そして、専門の食品販売店である。
仲卸の人たちが販売しやすい青果物の梱包が、これまでの青果物選別規格になっている。
トマト一つでも、2L,L,M,MS,S,それに優、秀など12分類もされている。
これらの分類によって競売の価格が変動する。
これらの選果のためには、生産地で大きな選果場があり、選果の機械が設置されている。
生産者は、これらの選果場の維持費、機械の償却費、段ボールの梱包費、運賃を青果物の流通経費としてさっ引かれる。青果市場の手数料は、競売価格の7%~8%になっている。
青果物は、物流の経路が複雑で、時間が掛かるほど品質は低下する。
市場流通では、JA組織の選果場から、市場へ、市場から、仲卸の選果場そして、量販店へと、たらい回しに運ばれる。荷下ろしと積み込みの作業は、5回から7回の作業が普通である。荷作業における、ダメージから生じるロスも、生産者の負担になって、手取価格に、跳ね返る。
果菜類の多くは、物流のダメージを配慮し、まだ未熟な商品の状態で採取され梱包される。
未熟であることは、美味しい青果物には、至っていない。栄養的にも未完成である。
青果物流通の果菜類は多くが未熟品が主流を占めている。
青果物が美味しくないのは、物流の現状にも課題があり、青果物の消費者離れの原因でもある。
JA組織は、農家には、文句を言わせない、組織への忠誠として、金融が、がっちりと取り込まれている。
肥料、農薬、農業資財、種苗、その他の日用品の購買事業から葬儀まで、金融によって、固められている。
日本に、オーガニックの生産者が少ない要因でもある。
どのような産業においても従業員の知的レベルが低いと、世界的な競争には勝てない。
世界と競合し、最後に残るのは、最先端知識の集積とその持続であり、低価格大量販売に依存した企業は必ず、新たな競争相手が現れ、淘汰される時期がやって来る。
JA組織は、農業生産物を、始めから国際競争の対象にはならないとする姿勢でこれまで、存続してきた。TPPには、日本は参加しないと大見得を切っていたが、安部総理は、どうやら本気で参加するらしい。
水稲農業は大きくダメージを受けることは、当然である。
 TPPへの参加に踏み切り、生産者や消費者へ呼びかけている、安部総理の発言は、なんともやりきれない
「強い農業への転換」「強い」「強い」たびたび発言されるが、果たして、日本に強い農業など存在するのか、又短期間に強い農業に転換できるのか、何ら根拠の無い発言である。
高齢で腰の曲がった生産者に、今更、強くなれは、酷な話しである。
 世界の農業で、強い農業の見本として、オランダがたびたび、引き合いに出される。
EU内での、農産物の輸出高は、ドイツよりも多いとされている。緯度は北海道と同じ、面積は、九州とそれほど変わらない。日本の農業との違いを論説する紙面では、植物工場を比較されている事例が多い、植物工場の規模、周年栽培されている品目など日本の植物工場とは比較にならない規模である。しかし、それは一部であり、品目的にはイチゴ、パプリカ、トマトなどで、主にEU圏内が多い、農産物の輸出のメーンは苗ビジネスにある。花卉の苗、野菜の苗など、世界へ輸出されている。
苗ビジネスの多くは、家族経営であり、何代も同じ品目を選別し品種改良に携わることから世界的な地位を確立されている。
家族経営の強さは、何代にも引き継がれてきた技術の積み重ねが財産になっており、多くの品種登録と特許が確保されている。日本では苗のビジネスは、JA組織と大手の育苗企業に占められている。
日本とオランダの違いは、生産者の知的レベルにおいて格段の差が生じている。
この差は、バブル経済前の段階では、それほど大きくは開いていなかった。日本にも多くの篤農家が存在し、生産レベルの技術では、オランダと遜色なく対抗できた。
しかし、バブル経済の崩壊と平行し、篤農家の多くも高齢化になり、次への世代へと技術伝承する気力が削がれてしまった。
日本の篤農家は、青果物の販路が国内に特化していたことが、バブル経済後の高級青果物の価格暴落をもろに受け、次への気力を阻害した原因となっている。
日本農業に対する論説紙面は、不思議なことに、規模の拡大と植物工場ばかりを取り上げているが、どちらも農業の現場から懸け離れた批判が多い。植物工場は、昭和の終わりと何ら技術的、学術的な進歩は見られない。蛍光灯からLEDに変わっただけである。
ロボットは施設投資が大きく、採算が取れない。
日本の生産者が幾ら大規模へと転換しても、強い農業にはならない。
日本では、農地を大規模にするにも限界があり、一定の規模を超え、拡大することは、非効率の現実に直面する。
農業は、机上論の経済評論では見えない現実があり、そのまま鵜呑みし実践すると大きな挫折を味わうことになる。
日本の大地は、火山灰地の地域、粘土質の大地、そして河川の堆積地など様々である。
年間雨量は北海道を除いて、年間2000mmを超えている。時間雨量が20mm~30mmを記録しない年は、殆ど見られない。温暖化は時間雨量が極端に多くなっている。
水田と畑作では、異なるが、水田では水位を安定させるには、面積が大きすぎると不安定になり、畑作では畝の長さが長くなると雨水で畝と作物が流される。農地の1反、1町は、広さの単位であるが、同時に最適な作付けへの安定基準を示している。
雨量が多い地域ほど、作付け単位を細分化し持続してきた。東アジアのモンスーン地域の特長であり、経験から生まれている。
世界の大規模農場地域の多くは、年間雨量が300mm~500mmである。多くは、散水によって栽培している地域である。
価格競争する土俵、大地の規模拡大は、日本の農業の自然環境では、世界と競争すると失敗する。
では、高品質農産物の栽培は、EUでは高品質の最低基準がオーガニックであり、日本ではオーガニックの栽培が殆ど見られない。
残念ながら、日本には、国公立大学の農学部で、オーガニックの栽培や飼育を教える大学が存在していない。
国公立大学の農学部では、オーガニックの栽培技術の指導できないのが現実である。
日本には、国の試験場、都道府県単独の農業試験場は存在しているが、オーガニックを指導できる試験場も存在していない。EUで見られる専門のトレーニングセンターも存在していない。
現状では、世界が求める高品質農産物の生産には限界がある。
大企業参入による農業の促進は、これまで多く見られる。しかし、昔から、大企業が農業に参入すると新聞紙面が、にぎあうが、撤退の紙面は書かれることが少ない。これまでにユニクロ、オムロン等も参入したが成功はしていない。
京丹後の国営農場では、外食産業のワタミも進出しているが、成功しているとは見えない。
社員が定着していない。
青果物専門の八百一は、存続しているが、採算面では厳しい。京漬け物の老舗、西利も有機農業として参入したが、既に有機農業の資格は返上し、生産量も少なくなっている。
販路を持つ企業でも農業は簡単ではなく、まして弱電や衣類の企業が参入しても簡単には成功しない。
農業は、他業種が参入して採算が簡単に得られる業界ではない。
農業論評では農業の効率を指摘されている。農業は他産業から見ると大変効率は悪く、効率の悪さを改善するために他産業からの参入を進めている。
生産者は大変な努力をしているが、効率の悪さは生産者の責任ではなく、流通業者の責任が多い。効率を高めない指導は、JAが得意であり、中央市場が拍車を掛けている。
生産者の責任ではない。
農業は、大変クリエイティブな産業で、豊富な経験が必要である。低賃金の労働産業として捉えると多くは失敗し、知的産業として捉えなければ、成功しない。知的産業へトライするにはそれだけの知的集積が必要である。
現在の流通システムだけの問題ではなく、新たな知的農業へのトライとして捉えなければ、持続した経営には結びつかない。

米国の農業規模は、日本とは桁違いで、数百haの農場が穀類、コーン、大豆など普通であり、果実でも普通に存在する。EUでも、ニンニクの1枚の畑が20haなど、日本とは全く異なる。ブドウやオリーブでは、1枚の畑が100haの大きさが各地に点々と存在している。
日本の農業が今更規模を拡大しても、価格競争に勝てない。特に米国やEUには季節労働として、移動する低賃金の採取グループが長年存在し、低価格の農業を支える基盤が出来上がっている。
残念ながら、強い農業の基盤となる、国際的価格競争に勝てる低価格農産物、高品質農産物、どちらも、現状では、期待できない。
消費者と密に連携でき、安心し摂取できる農産物の育成への転換が今後の課題である。

3.自然との共生が出来なかった林業と農業の現実
中山間地の生産者は柵の中での栽培を強要され、自然性を失っている
 日本の大地の約72%が森林で、18,6%が水田、畑作、果樹園等になっている。合計すると、90,6%が農林水産省の管轄下の大地である。
この面積に、沿岸の海岸線、河川の湖沼の水産物も農水の管轄にある。
管轄の全てに産業が存続しており、これらに関係する多くの産業が危機的環境にある。
林業、農業、沿岸漁業の多くが危機的環境にあり、生産高は激変している。
森林の上流から中流域、下流域、そして沿岸において、生息している生命体に異変が見られる。
一見すると青々とした森林に見えるが、森林に一歩入ると、異常である。
生命体が大きく減少し、まるで、死の山、死の渓流になり、蜘蛛の巣すら、山に見られない。植林後間伐されていない山林が悲惨な現実をさらけ出し、この影響は、山林だけの問題ではなく、地域全体に影響している。
山林の表土が流れ、次への植物が育む場が喪失し、渓流に生息する全ての生命体に影響が見られる。過去には小魚や沢蟹、蛙が見られたが、今では全く水辺を動く生物が見られない。又それらを捕捉する、野鳥やトカゲ、蛇の姿も見られない。蜘蛛が巣を作っても虫がかからないため、蜘蛛の巣の姿も消えている。間伐されていない山は、太陽光が入らないため、針葉樹だけが情けないほど頼りなく、細く、材木の価値にも育っていない。
残されている低木は榊、樒等の毒性が強い植物だけである。
人里への鳥獣の被害は、一層加速させている。これは人災であると言うよりも官僚の怠慢から派生した公の害である。
植林事業だけ進め、間伐や育樹に全く予算を計上していない。
森林行政の失敗から生じている。
多くの植林地は、既に50年近くが経過しているが、材木としての価値は、殆ど見られず、山林の環境破壊だけが目立つ。それでも、まだ現在も植樹祭を行っている、植樹祭ではなく、「育樹祭」に何故、切り替わらないのか、行政予算は盲目に等しい。
山林の下流域は中山間地域へと広がるが、中山間地域は水稲と休耕田がパッチワークのように交差し、休耕田は、イノシシの住み家に、パッチワークの水田や畑作は、柵の中にあり、多くは電柵で仕切られている。
過去、日本の歴史の中で、農奴は存在していなかった。
奴隷制度は、日本では存在せず、柵や檻の中での農作業は監獄だけである。農業は、広い大地の中で共生と共存が自然の姿であるが、現在は、柵のなかで、腰を折り屈め、鳥獣から逃れ、細々と耕している。
柵の外から、作物の生育を監視しているのは、イノシシや鹿や熊である。
田舎の夜空に、蛍の光は、心がなごみ、田舎の良さであったが、最近では、夜半にぎらぎらと光るのは、鹿の群れの目で、農道だけではなく、農家の庭先に植えられている野菜まで食べに来る。
この現実を見て、何ら心が痛まないとすると政治家は、政治の現場から下野すべきである。
「強い農業」と胸を張る前に現場を知ることである。
 水稲、畑作どちらも、除草剤の散布、忌避剤の散布をしていない農地を捜すのに苦労する。水稲地域では空中散布も広く実施され、他の生命体に対する配慮は見られない。
ドローンの実施は農薬散布が随分前から実施されており、今更、次代への産業とは、思えない。農薬の散布が始まって、既に50数年が経過した。
農薬は速効性が強い程、生産農家は喜んだ。
稲作の害虫にいちころやと手を叩いていた頃がある。
最近、農地へ出向いても余り蚊に刺されない。蚊が極端に減少している。
田の側溝にも生物が見られない。秋になっても赤とんぼが飛んでいない。
童謡や童話として歌われ、語られた原風景が激変し、農家の子どもにも、童謡や童話の意味が解らなくなっている。
 天然の鮎、鰻、ナマズが最近では、貴重品になり、河川の生態系が崩れたことは、そのまま沿岸の海水魚の生態系にも影響している。海岸にイワシの群れが打ち上げられるような現象は、昔の話しで、今ではイワシは、高級魚の価格である。漁港の競り場を見ても、競りにならないほど、漁量が少ない。少ないトロ箱を高齢の仲買人が競り落としている、沿岸の水産ビジネスは厳しい環境に曝されている。
 日本の和食文化が世界遺産になっている。
大喜びしている、行政や業界団体、そしてマスコミの人が多い。
世界遺産を維持すべき、日本独特の野菜類、魚類が美味しく食べられて、始めて世界遺産としての価値がある。
農薬漬けの野菜、養殖の魚類で演出された料理が果たして世界遺産としての価値があるのか、大きな疑問である。
現在、栽培されている農産物で、調理される料理が世界に誇れる和食料理なののか、世界に誇れる料理の材料が維持できるのか、指摘されていないのが不思議である。
東京オリンピックの採択に感激されているが、肝心の選手村に提供する食材が、オーガニックであることが、高品質の最低条件であることを、日本のオリンピック委員の人たちは認識されていたのであろうか?
日本料理、和食は、出汁をとり、素材の味を引き出す、薄味の料理法が基本である。
薄味に答えられる農産物でなければ、和食の味覚にはならない。
素材の味覚を調味料で、カバーするのであれば、和食の良さは、生まれない。
世界遺産として世界の人たちに示せる素材の栽培や天然素材が持続出来ずに、有頂天になっている行政の姿には、呆れるばかりで、唖然とする。
ほんとに和食の素晴らしさを知って世界遺産に応募されていたのであろうか?
和食の料理人の人たちは、行政や政治に、日本の農業生産のあり方を根本的に見直すように声を上げるべきである。 
農業世界遺産として和食の位置付けが危機的である。
農水産業は、農業権、漁業権、競売、競り等の利権構造にあり、利権構造の改革無くして、次への発展は厳しい。

4.農業生産が栄養学、調理、国民の健康を一体として捉えられない原因
*日本の農業の現場と中高齢者の生活実態は大変類似している。
日本の農業は、農薬漬けであり、中高齢者の多くも、慢性疾患に罹患し薬漬けである。
野菜の多くは、短期促成による窒素過多で肥満野菜が多く、家畜の多くも経済的プレッシャーから短期間に育成され、抗生物質の投与に依存し、肥満状態で市場に送られている。
決して、健康的な飼育とは言えない。
最近のブロイラーは45日~50日で一人前の重量に仕上げられ、豚も牛も短期間に仕上げられている。米国の牛肉は生長ホルモンの使用が普通である。その結果は、恐ろしいほど多くの人々が肥満体となった現実を繁華街で見られる。
農産物全体に経済的プレッシャー下で、生産や生育されているのが実情である。
日本の農業の多くは、量的時代から、質的転換が必要であるが、一向に質的転換を進める意識がない。
JA組織、行政共に、農産物を価格競争ではなく、高品質の農産物によって、国民の健康へ寄与する体制へと転換する意識すら見えてこない。
 日本の慢性疾患の多くは、糖尿病、高血圧そして癌、多くの原因は生活習慣、食生活による影響が大きい。
慢性疾患の多くは自身の生活習慣で改善できるが、検査データが正常値であれば、安心と
簡便に薬に依存している。薬への依存が慢性化すると結果的には、自身の改善能力は低下し、慢性疾患は、一層悪化へと進行する。
 農業の現場も同じで、消費者が高品質の農産物を求めない限り、簡便に即席で、農薬に依存し生産する方法が継続される。
どちらも慢性化し、改善しなければならないとする気風が少ない。
農業の現場、そして国民の多くも、慢性的、薬依存型社会に浸っている。
日本の医療費の増加は社会問題になっている。慢性疾患から次へのステージに進行する患者が増加し、今迎えている高齢化は、一層医療費が増加する。

 農産物の生産が健全で、健康的な食生活を実践されると、栄養補助食品やトクホの補助食品に頼る必要は少ない。慢性疾患も食事とその摂取から改善できる。
過去に日本では、食品の栄養成分を分析し、定期的にその内容を発表されている。
3訂から5訂の改正版までをみると、ミネラル、ビタミンなどの総量は大きく減少している。ホーレンソウなどでは、1/3にも低下している。低下しているのは至極当然で、ミネラルは、微生物がイオン化し、野菜が吸収する。土壌に健全な微生物が減少すると作物が吸収するミネラルは減少する。微生物は慢性的な農薬漬けによって減少している。
ミネラルの吸収は、物理的時間によって吸収され、短期促成では吸収しても量的には少ない。人がミネラルをサプリメントで吸収するようにはいかない。
植物は、適正な栽培日数によって、ミネラルを吸収し、短期促成の野菜類では、吸収できる期間が不足している。土壌にイオン化されたミネラルが減少し、栽培期間が短縮されると含有量は大きく減少するのは、当然である。
人が必要とするミネラルは、イオン化した状態で生体に効果的に作用し、イオン化されていないミネラルを吸収しても、人には、ミネラルをイオン化する微生物の保有は、限られている。イオン化していないミネラルを吸収し、蓄積すると肝臓や腎臓の疾患などの病気の原因を作り出す。
経済を追求するために、多くの農産物は、短期促成で栽培されている。そのために野菜を摂取しても必要とするミネラルやビタミンの多くは不足勝ちになる。
形骸だけの野菜を摂取しても野菜に含まれているはずの基礎的栄養素が不足することになる。  
1日に摂取が求められる野菜の量は約250gとされているが、野菜の栄養素の含有量からすると3倍の750gが必要量になる。不味い野菜を一日750g は食べられない。
中高齢者の慢性疾患が多くなる要因である。
 オーガニック栽培は、全ての微生物も含めて生命体の共存と共生を基本にして栽培する。そのために農薬や化学肥料は使用しない。微生物が土壌のミネラルをイオン化しやすい環境を持続され、野菜や果実を栽培する。
オーガニックの栽培は、高齢化社会の必須条件である。1日の摂取量が少なくなり、少ない摂取量の中で、基礎栄養素が確実に含有することが求められる。
最近、野菜が不味なったと耳にする。
ミネラルやビタミン類、アミノ酸類の含有量が少ない野菜は、不味く、野菜の本来の味覚とは懸け離れて行く。
農薬を散布しないことは、それだけ多くの微生物が生存しており、土壌微生物が土壌内のミネラル分をイオン化へと誘導し、そのイオン化されたミネラルを農産物が吸収する。
その結果は、農産物の味覚として現れていく。
一流の調理人の人々が、オーガニックの農産物を好まれるのは、栄養分析して判断されるのではなく、圃場で栽培している野菜をその場で生で食べられ、味覚を判断され、選択されている。化学肥料、農薬に依存し栽培されている野菜類と、オーガニックの農産物は味覚の差がはっきりと生じている。
ロンドンオリンピックの選手村での食材の選択がオーガニックが最低の条件としている要因は、野菜に含まれる、ミネラル、ビタミンを含有していることが、必須条件とし、判断されている。
もう一つ、野菜類の摂取で求められている必須成分は、抗酸化力の多い野菜である。
酸化と糖化した食品の摂取は疾患の原因を作る。
生体の酸化、活性酸素を抗酸化力を多く含む野菜は、除去させる。短期促成では、抗酸化力を含む成分の含有比率は低下する。
抗酸化力は一定の栽培期間と環境でによって蓄積されていく、屋外で、紫外線を受け生育することで、より抗酸化力の強い農産物へと転換する。
 日本の農業生産高は、現在8兆円を超える程度であるが、医療費は近々40兆円を超えるようである。トクホ及び栄養補助食品、健康食品のマーケットは、6兆円を超えている。
農業生産のあり方を改善しなければ、医療費の増加は止められないし、健康食品やトクホなどの栄養補助食品に依存する構造は変えられない。
農林水産省の現在の予算配分を転換し、オーガニックへの転換に置き換えなければ、解決しない。
現在、農林水産省がオーガニックに配分している予算は僅か約3000万円程度である。
農水の年間総予算は約3兆円で、配分率は10万分1である。
農業は、基本的に国民の健康的な食生活を支える為にあり、国家予算は国民のためにあるはずである。国民の健康な食生活を支援するには、あまりにも馬鹿げた数字である。
農水の予算は、JA組織、JAの利権を支える為にあるのではない。
農業を支えることは、大変重要で、農業の衰退は避けなければならない、他国に、日本人の健康な食生活を依頼し、お願いすることではない。
日本人の健康は、日本人が守らなければ、他国の人に依存し、日本人の健康をどうかお頼み申し上げますとは、言えないはずである。
貿易の自由化の問題と根本的に、はき違えている。
家族の健康は、家庭のかなで、健康的な食生活を維持して守られ、全て外食や他人に依存することは、家族の健康を他人任せにしているのと同じである。
他国が日本人の健康のために、農産物を栽培したりしない、他国が栽培する農産物は、経済を優先し、品質はより低下する。農業は、同じ日本人同士で守らなければ、品質の安全性は問えない。これまで、同じ日本人でありながら、健全な農産物とは言えない品質で流通されてきた。他国に農産物を依存することは、一層、品質的な問題が生じて来ることになる。TPPへの参入で、果たして、国民の健康な食生活が維持できるのか!!
 栄養学や医学の専門分野から、農業生産から生じている農産物の栄養問題について、改善を要求する姿勢が見られない。これほど多くの慢性疾患を治療されているにも関わらず、問題提示が無いことは、門戸外として、目を逸らされているのか、認識が少ないのか、判断出来ないが、日本の構造的問題は、他の分野からの指摘が欠かせない。
JA組織には、厚生連、病院を経営していた地域も存在する。医療と食の品質と内容は欠かせないはずであるが、指摘されていない。
 テレビ番組でも驚くことがある。
夏の暑い日に、鉄分が不足している疾患に対して、野菜の摂取として、ホーレンソウや小松菜を進められている。最近では、夏にホーレンソウや小松菜は、販売されている。
植物工場の場合もある。
野菜に含まれるミネラルは、イオン化し始めて含有する。植物自身から、イオン化出来る場合もあるが、多くは土壌微生物によってイオン化され、イオン化されたミネラルを植物は吸収する。
化学肥料や農薬は土壌微生物の生体環境を著しく阻害している。
微生物が減少していると土壌に含まれるミネラルのイオン化が進まない。植物は生育の時間に比例しミネラルを吸収する。短期促成栽培ではミネラルの吸収期間が減少する。ミネラルは植物自身で合成できない。
栽培する土壌にミネラルが存在しなければ、含有しない。
野菜に含まれるミネラルは生態に欠かせない必須栄養素一つである。
夏のホーレンソウや小松菜は、栽培期間が25日~30日、鉄の含有量は極端に少ない。
ホーレンソウは冬野菜で秋に種を蒔き収穫時は12月に入り始めて美味しくなる。この時期のホーレンソウは栽培期間が75日~90日である。冬でも施設園芸で栽培すると栽培期間は短く、長い場合で60日、この場合は鉄の含有量は少なく半減し、味覚も充実しない。
農業、特に、オーガニックによる栽培の必要性はここにあり、美味しい農産物には、必ず多くのミネラルを含んでいる。
微生物との共生できる土壌の環境を持続しなければ、多くのミネラルが含有する農産物の育成は困難であり、促成の栽培では含有率は低下し、それに伴う味覚が低下する。
植物工場で無菌栽培され、健康的な野菜などの記事がある。
科学的ではなく、馬鹿げている表現であるが、何故か大きく取り上げられている。
健康的な野菜とは、多くのミネラルとアミノ酸類を含有し、抗酸化力が豊富に含有していることであり、紫外線を確り受けて、始めて、抗酸化力は増加し含有していく。
無菌室の野菜では、抗酸化力の含有は期待できない。
 トマトは年間を通して販売されている野菜である。水耕栽培でも数年間栽培できる。
地中海に面したアフリカのチュニジアでは、広大な面積で路地栽培されている。
夏は40℃近くにも温度は上がる。
チュニジアは6月の始めから8月の末まで、90日近くも、雨が降らない。約2500年間、この期間は雨は降らないことになっている。90日間雨が降らないが、広大な大地にトマトが栽培され、大型トラックで定期的に収獲に来ている。雨は降らないが次々と果実は実っている。トマトの根は水分を求め深く大地に降ろしている。それだけに、多くのミネラルを吸収している。日本のトマトと味覚は全く異なる。大変美味である。
同じ栽培環境を作るために、完全な雨除けの状態にして京丹後の大地で行ってみた。
チュニジアのトマトと同じ味覚、ミネラルの豊富な独特の味覚が再現できた。
日本でも、90日間、冠水することなくトマト栽培ができる。
トマトには、厳しい環境であるが、素晴らしい味覚のトマトになる。
雨除け状態にして、水を冠水しない環境は、大気の湿度は低くなり、高湿度に伴うトマトの病気の心配がなく、虫も極端に少なくなる。
大気の湿度が低いことは、自ずと抗酸化力の強い野菜の栽培に結びつく。
チュニジアは、約2500年前に世界で始めて「マゴンの農業書」西洋文化における農業指導書をフェニキア人によって作られている。現在の葡萄酒の原点である。
カルタゴ文化、ローマとの500年に亘り戦争を行う国力は、それだけ農業技術が進んでいたからである。
 家畜が飼育されている環境は、動物愛護の意識とは懸け離れている。
鶏舎の中で、尾羽を全て無くしている鶏は、ストレス疾患を象徴しており、鶏舎の大きさは1羽の幅に仕切られ、その中で餌に向い、500日間、同じ姿勢で、餌を啄むだけで、生涯を終える。厳しい環境で飼育されていることは、抗生物質の投与が普通になる。
効率の追求から生まれる鶏卵は、価格は安く、経済的に優れものであるが、果たして、人々の健康に寄与している鶏卵なのか、なぜこれほどまでに卵アレルギー疾患が増加しているのか、相関関係を見る必要がある。

農業の姿は、その国の国民の姿を現している。
健康的な農業を実践し、その具現化によって人々は健康な生活を育むが、簡便で、合理的だけを追求する現在の農業環境は、薬依存型で健全とは言えない。
厳しい環境の中での生産者は、栽培による利益は極少なく、反対に農薬会社が常に利益を得ている。
高齢社会で高齢者が優雅に生活をエンジョイしているのではなく、慢性疾患が次への悪いステージに移行する不安と経済的プレッシャーにおびえている反面、製薬会社の高決算の報告が継続している。
農業の現場と高齢化社会の中で慢性疾患に悩む中高齢者の姿と大変類似している。

農業の生産現場とその栽培履歴から派生する栄養成分とそれらをどのような加工及び調理されているのかで、栄養成分は異なり、その結果が生体への影響として分析できて始めて、農業生産の価値が見えてくる。
現在では、オーガニックの商品が存在していても科学的な分析データがあまりにも少なく、健康への寄与が判断できる素材が不足している。
高齢化社会では、オーガニックの生産は欠かせない課題であるが、分析などの公的な支援システムが全く見られない。

5.市場に氾濫する調理済み食品と加工食品
*果たして電子レンジのマイクロ波加熱は安全なのか
 量販店やコンビニ、百貨店は、総菜類、調理積み食品、冷凍品が数多く販売されている。
量販店や百貨店の売り場では、生鮮食品の売り場よりも、総菜類の売り場の方が面積の多くなっている店舗もある。それだけ多くの消費者が、出来上がり惣菜を量販店や百貨店から購入され、家庭へ持ち帰り、再加熱し、食卓に飾られる。
家庭では多くの場合、電子レンジによる再加熱である。
商品の中にはご丁寧に、電子レンジによる加熱時間まで、掲載され、「レンジで加熱し食べてください」とお進めである。
確かに、レンジ加熱は、早く簡便である。
では、果たして、電子レンジの加熱が全て安全なのか!!
レンジ加熱の商品が氾濫しているが、レンジ加熱に関する食品の影響に関する研究発表の新聞紙面は、殆ど見られない。
電子レンジが販売されて、既に40数年が経過しており、家庭での普及は、95%以上、コンビニや量販店の店頭では、普通に、自由に使用できるまでになっている。
他方、電子レンジに対する恐怖、マイクロ波への恐怖を持つ消費者も潜在的に多く見られる。ペースメーカーを心臓に入れている人は大変敏感である。
消費者の多くから、電磁波恐怖症の発言が飛び出すが、電磁波のどのような波長に対して恐怖心を抱いているのかは、明確ではなく、何となく、漠然と電磁波恐怖症の意識が強い。電子レンジのマイクロ波とその出力についての知識は多くの場合、不十分である。
もう少し、科学的に知識から判断し、認識されることが大切である。
 そこで、最近の海外における電子レンジ加熱の研究内容について、調べてみると多くの試験研究の内容が掲載されている。

農産物の多くは、経済的プレッシャーから、品質的に大きな課題を持ち、調理し食べられる工程において、多くの栄養素の変化によって、疾患の原因を作り出している。
大きな社会問題であり、高齢化社会の医療費の問題と重ね合った課題でもある。

我々は、過去30数年、マイクロ波に携わり、マイクロ波加熱における暴走はたびたび経験し、予測外の品質変化も経験している。
5ヶ年に亘る研究発表の内容から、マイクロ波による調理加熱の危険性を肌で感じる結果となった。電子レンジ加熱商品として販売されている総菜類の多くは樹脂素材の容器によって梱包されている。
樹脂素材の耐熱温度は最大で200℃前後であり、商品によっては、80 ℃~130℃程度で多くは溶出する。
食品には多くの脂肪質が含まれ、脂肪質には局所的にマイクロ波は集中し加熱される、そのため局所的には200℃を超えることは普通に存在する。
梱包容器の樹脂類の許容温度を超え溶出する可能性は強い。
単体の樹脂類、透明度の高い樹脂類はマイクロ波は透過する。
しかし食材との接点は食材が高温になると透過ではなく、溶出することがある。
一般的に樹脂素材はマイクロ波は透過し、無害として販売されているが、樹脂素材に脂肪質が付着していると樹脂素材と食品との接着部は高温に反応する。
コンビニエンスの現場では、1kw等の高出力のレンジが普通であり、短時間に加熱する場合が多い、化学反応の促進や重合、触媒反応など瞬時にして進むことがこれらの事例から判断できる。
溶出した樹脂は食材に付着し、そのまま口に入る場合もある。
果たして、安全と言えるのか、大きな疑問である。
樹脂系の素材が溶出し生体内に入ると危険性とする許容量は、ppm単位からppdである。

 マイクロ波加熱は簡便であり、エネルギー効率も高い。
既に普及率は95%を超えている。今更、危険だからと発表するよりも、もっと簡便な活用方法がないのかを研究した。
 マイクロ波(電磁波)は、強磁性の物質に吸収される。強磁性に吸収されると強磁性体の磁化は高くなり、より強磁性になる。この時にマイクロ波は磁性体に吸収され波長転換し赤外線の波長になる。
マイクロ波は、金属では、アルミを100%反射し、ステンレスも反射する。樹脂類は、透過と吸収の比率が組成によって異なり、透明度の高い樹脂は透過する。セラミックスは、組成で一部は吸収されるが透過も多い、石英ガラスは透過し、雲母は100%反射する。
当初は、アルミ箔に磁性体の粉体を固定し、反応を調べたが、多くは失敗であった。
石英のガラスに磁性体を塗布し定定させ、反応を調べたが、磁性体がスパッタリングを起こし、容器としての利用が難しい。
試行錯誤の結果、セラミックに磁性体の薄膜を焼結する以外に容器として利用することが困難と判断できた。
耐熱セラミックの内面に焼結することで、外部からマイクロ波を照射するとセラミックを透過し内面の磁性体の吸収され、急速度に高温に変化した。
磁性体は、日本の先進技術が多く、ネオジウム磁石は強磁性で世界を席巻している。
当時のNEOMAXには多くの磁性体素子を保有されており、粉体の試験素材の提供は大変ありがたく、研究を推進できる原動力になった。
磁性体の特性を調べ、磁性体のキュリー温度から、材質を選択していった。
調理の最適温度は、80℃前後、最高温度は220℃以下である。加熱時間はエネルギーヒー密度によって決定する。
 調理において加熱することは、一般的に酸化し安く、焦げることは、糖化に進む。
従来の加熱で、酸化と糖化を防ぐ方法は存在していない。
酸化と糖化を防ぐ、加熱方法は、酸化還元反応による加熱が次世代の調理ではないかと素材の選別を行った。
Mnによる還元反応から、Mn-Znフェライトを選択したことによって、野菜の加熱や油脂分の酸化を防ぐことが可能になった。
 調理で美味しく仕上がることは、科学的に証明でき、調理は科学である。
日本では、調理を学問として捉える傾向が少し見え始めてきているが、まだ全体的に調理から生まれる美味しさを科学的に解明する学部は限られている。
食材に熱を加えることは、物理的であり、どのように波長を食材に与えるのが最適な加熱方法であるかを教えていない。
物質には全て、吸収波長があり、物質の成分分析は、赤外線の吸収波長のピークを見て判断する。食品が吸収する波長の領域と整合する波長を選択し、輻射するとエネルギー効率は大幅に軽減できる。化学反応における、熱輻射においても同じである。
アルコールランプでの熱輻射で反応時間を掛けていることは、無駄な時間であり同時に安定
した反応が得られにくい。反応時間が短いことが高品質の原点である。
食品加熱も同じで、美味しさは温度と熱輻射の時間とエネルギー密度で決定する。
食品を美味しく加熱することは物理生理学的に解明できるはずである。
この時に輻射する波長の範囲と温度の範囲が味覚を決定する。
 
 マイクロ波加熱による食品加熱で問題とされていた、脂肪、ビタミン類、タンパク質のそれぞれの熱吸収の波長は、以下の通りである。
 不飽和脂肪酸は波長、7μm~11μmに大きな赤外線の吸収波長が存在する。
 ビタミンEは波長3μm~10μmの間に大きな吸収波長がある。
 タンパク質は赤外線の波長、3.8μm~11μmに吸収波長が多く存在する。
マイクロ波の波長を赤外線の波長に転換することで、これらの課題の解決が見えてくる。
この3つの吸収波長は、一般的に使われている、遠赤外線の近傍である。
マイクロ波加熱の課題なっていた、脂肪、ビタミン、タンパク質も赤外線加熱によって改善できる。
 脂肪酸と赤外線加熱と酸化還元反応では、シス型不飽和脂肪酸の減少または、シス型の不飽和脂肪酸からトランス脂肪酸へ転換されることを防止し、健康に良い影響を与える。
 アミノ酸を結合させているアミド基に大きな赤外線吸収(波長5.8μm~6.2μm)が存在する。タンパク質に赤外線を照射すると、アミノ酸の結合が強化され、タンパク質の変性を防止する。
 ビタミンEが赤外線を吸収することによって酸化還元反応が生じると、活性酸素を除去し、抗酸化作用が生じ、人体に好影響が生じる。
ビタミンB12はコバルト原子を含む、大きな分子量を持つ有機化合物である。
マイクロ波とコバルトのスピン及びコバルト-炭素の回転相互作用によって、
ビタミンB12はマイクロ波加熱によって分解される。
ビタミンB12の赤外線吸収は、コバルトに結合しているシアノ基によって生じ、波長4μm~10μm及び波長2μmに大きな吸収波長がある。
ビタミンB12が赤外線を吸収し、コバルト化合物の酸化還元反応が生じると、スーパーオキシドデイスムーターゼ(SOD)が発生し、活性酸素を除去し、抗酸化作用が生じ、人体に好影響を与える。
 玄米食は多くのファンがおられる。美味しく炊飯すると、独特の味覚があり、摂取量が少量で、基礎的栄養素が得られやすい。
しかし、炊飯の仕方によっては、危険性も存在する。アブシジン酸の除去が課題である。
 植物の発芽及びアブシシン酸の量は、赤色光及び遠赤色光によって、誘導または、抑制され、制御されている。アブシシン酸は、波長、2.8μm~6.25μmの赤外線に大きな吸収波長が存在する。アブシシン酸に赤外線、遠赤外線を照射すると、赤外線を吸収し、アブシシン酸は分解し、減少する。アブシシン酸は酸性に位置しており、還元加熱によって分解が促進される。
電子レンジのマイクロ波を直接照射し調理や加熱することは、危険性は強いが、マイクロ波を波長転換することで、簡便に美味しく、安全に利用することが多くの実験と科学的データによって説明できる。

 21世紀に向けた、省エネの新しい、加熱方法が確立した。

調理加熱の現場は、エネルギーのロスが極めて高い、換気扇をブンブンと回し、その上に空調を効かせなければ、室内温度が高くなる。調理で熱を食品に加えるよりも、調理場全体へエネルギーを放出し、そして換気している。エネルギーの温度は、高い方から低い位置に移動する。調理品の温度が高くなるほど、放出するエネルギーは大きくなる。全て無駄なエネルギーの放出で、その放出に又エネルギーを使っている。
従来の調理では、365日多くの家庭で、無駄なエネルギーの放出を繰り返している電子レンジを応用した新たな加熱では、エネルギーは、容器の内部で、マイクロ波を吸収し熱輻射するそのために容器の外部のセラミックは、一種の断熱に活用され、外部への熱輻射は制限される。調理品へエネルギーが集中的に輻射し、エネルギー効率は大変高くなる。
玄米100%、2合の炊飯が従来のHI炊飯器の1/3程度のエネルギーで炊きあがる。
調理の現場から、エネルギーの無駄を少なくすることが可能である。
食品の調理は、科学的に捉えると健康に寄与し、大変美味しく仕上げることが出来る。
 これまで、農産物の生産から、流通そして、調理加工、食品加工の現場を、一貫し見てきた。資本主義経済は、18世の略奪と侵略による植民地政策から、非効率として転換した社会構造である。現在も資本による侵略と略奪の構造は大きくは変わっていない。
地球環境の変化、温暖化は、人類の生活態度、そのものを転換することを求めており、
オーガニックによる栽培はその見本的構造である。
地球環境の変化は、人類だけの共生と共存ではなく、自然の全ての生命体との共生と共存を求めており、その答えが農産物の品質として、現れている。
日本の農業の栽培環境は危機的であるが、オーガニックの現場に立つ、若い人たちの取り組みに期待したい。東アジアの新たなオーガニックの見本として活動が広がることを望んでいる。



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